4年半という歳月、確かな復興の槌音が響いていました。
路線流出3km。ホーム変形19ヶ所。橋梁、高架橋損傷12ヶ所。駅舎損傷14ヶ所、ズタズタでした。あおば駅を起点に仙台駅を経由、石巻駅までの全長49km、32駅を結ぶを宮城県「仙石線」・・・東日本大震災での被害状況です。
JR東日本は震災後直ちに復旧工事に・・線路が流出した・陸前大塚と陸前小野駅間に100億円を投じ高台移転、新ルートを完成させるなどして今年の5/30全線を開通させました。日本ならではのなせる技だ思いませんか。
我が社の地域みっちゃく生活情報誌「んだっちゃ!」(宮城県・石巻・東松島・女川町・56,000部・石巻日日新聞社発行・仮設住宅を含め全戸配布しています)の仲間とのミーティングのため石巻を尋ねました。いつもは、仙台空港からレンタカーで石巻に向かうのですが・・・
今回は、陸路。在来線、東海道新幹線、東北新幹線を乗り継ぎ、全面開通なった仙石線で。震災から4年半。メディアは節目には復興の様子を報じます。癒されることのない被災者の心に如何に寄り添うのかを丁寧に取材して、現状を伝えてくれます。
同時に、復興の遅れへの批判が取り沙汰されますが。実態はどうなのか。松島湾を望みながら沿岸部を走る仙石線です。それなりに様子を知ることができるのではと、眺めながら・・・
驚きました。沿線沿いには新興住宅街が立ち並び。学校はじめとする公共施設も新築され・・
今尚、沿線至る所で、急ピッチの造成工事が進められています。震災前と比べれば元通り復元されることはありませんが。車窓からの眺めだけで何がわかるとお叱りを受けそうですが。JRもそうですが、行政を始め関係各位が本当に努力され、一日も早い、安寧した生活取り戻したいとの必死の4年半の軌道が見て取れました。
石巻も東松山市も流出した若い人たちが戻ってこないとの嘆きはありますが。女川町では行政と民間が一体となって三セクの「女川みらい創造」(法人)組織が立ち上がり、しっかりとした未来コンセプトを基に大胆な街づくりが進められ、若い人たちがその支援に集まっていると聞き、胸を熱くしました。
帰路も「仙石線」6:35発の仙石東北ライナーに乗車。途中駅までは各駅に止まり、仙台に近づくと快速になる。乗り込む人たちは通勤客と学生・・・あちらこちらで元気の良い声が聞こえ、都会のラッシュ並み。仙台駅も人がごった返していました。仙石線が石巻と仙台を結ぶ大動脈だと知り、開通に全力を挙げて取り組んだ各位に改めて敬意を表す次第です。
そうそう・・・仙石線の電車は首都圏を走っていた電車のお古ですって・・・Goto
コメント
お返しありがとうございます。
いつか・・・楽しみにしております。
私的なコメントで失礼いたしました。