敬老の日の概念を変えるべきではないでしょうか?
夢の・・・人生125歳時代が来るかも知れませんね。
いつの頃だったでしょうか。人間は幾つまで生きられるのか?
そんな議論がありました。その答えは、肉体的には125歳が限度では・・でした。
今日は「敬老の日」・・・三連休するために月曜に。
休みを増やすための敬老の日。どこに「敬老の精神」が宿っているのか?
ポピュリズムの典型だと政治家を罵っても仕方がないのですが・・
口先だけの敬老・・何んて言われるのは・・社会の問題ではなく、
高齢者の側に、敬老されるだけの成熟さがないのが原因だと思うべきでしょうね。
厚労省は今月15日時点で100歳以上が、前年比4124人増で6万5692名となり
46年連続で過去最多更新中と発表。女性が5万7525人。87,6%を占めると。
最高齢は鹿児島の女性で116歳。夢の125歳まで後9年に迫っています。
日本人の平均寿命は83歳。世界に冠たる長寿国です。
それが、年々伸びています。理由は食生活、公衆衛生、医療の発達、
国民の健康意識の高まりなど、様々ですが。
生産性のない高齢者が増え続ければ、少なくとも国力は衰えるでしょう。
国力が疲弊すれば社会保障の充実どころか、維持することも難しくなります。
「敬老の日」とは、高齢者を敬う日と考えるよりも・・・
高齢者自身が生涯現役で、社会を支える側に立つ・・・
その意識を醸造させる日、啓蒙する日にしなければならないのではないでしょうか。
それには社会制度を変えねばなりません。
政府は「働き方」改革と称して、働かないことを是認しようと必死ですが。
それ以前に定年制を廃止し、高齢者が働ける環境づくりが必要なのではないでしょうか。
体力も気力も、能力もある「高齢者」が敬老される必要などありません。
まだまだ第一線で働くべきです。その意識を高める日が敬老の日であり、
敬老の日を設けるならば100歳に到達した人を祝う「100歳の日」にしては・・・。
どうせ、連休を増やすための敬老の日になってしまっているのですから。Goto
コメント
文学的ですねぇ。
宮本輝さんの「潮流の畔」を読みました。・・・松坂熊吾も9編で完結とか。35年。ドラマか映画化されるのでしょうか?車を取り扱うのに抵抗があるかも。
Goto
すごいことですね。旅は続く…。話は少しずれますが、1週間ほど前の田んぼ道、愛犬と散歩していて稲穂にずっと立ち尽くしまいました。自分のように細くたよりなげな1本の線、それを目でたどれば大きく膨らむ重そうな稲穂。それがいくつもの束になり大きな実りが。今日も散歩してきました。畔には彼岸花、風の中には金木犀、虫たちの祭り創りの小さく懸命な掛け声も。人生の旅はいいものですね。さあ、がんばります。
高齢者が働くことを私はこんな風に考えます。
何人かで海外旅行する。日本に戻る。成田空港に降り立つ。東京住まいの人は成田で旅行は終わるが、私は岐阜まで戻らねばならない。ですから、旅行は続いている。成田を定年と考えれば、もう働く気力はなくなります。岐阜が定年ですと、まだ、頑張って働かねばと、思います。
そうなんです。人は決めたところまでは働くのです。社会が働かない仕組みを作って、労働人口が不足と言っているのではないでしょうか。人間って柔ですから。私の旅はまだ途中です。頑張ります。Goto
こんばんは。仰る通りですね、働けるうちは働く。どれだけたっても人間は未熟の晩鐘。これでいいということはない。そんな気持ちでがんばりたいですね。