さようなら夕刊

果たして新聞の夕刊に役割はあるのか。見栄やメンツで発刊しているなら・・・・
ご愛読ありがとうございました。
岐阜新聞社は、今日を持って夕刊を休刊します。
1925(大正14)年7月2日の発行以来、長年にわたり愛読くださり、
心からお礼申し上げます。・・・・岐阜新聞社(写真参照)
9/30付け岐阜新聞夕刊に掲載された、夕刊休刊の社告です。
92年間、発行を続けてきた岐阜新聞夕刊の終焉です。
関係各位の胸に去来する想い、察するに余りあります。
夕刊愛読者のひとりとして、寂しい気持ちでいっぱいでした。
亡父、このブログにも度々登場してくれる・・・親父殿。
郷土の隆盛に新聞メディアの役割は重い。岐阜新聞愛に燃えつつ享年65歳で他界。
30年を過ぎた。夕刊の廃止、草葉の陰からどんな想いで見ているのだろうか。
もう少しやり方があったのではないか。知恵と工夫ができなかったのか・・・
或いは、経営継続には致し方ないと、労わりの言葉を掛けるのだろうか。
それとも、夕刊が人々のライフスタイルに合わなくなったと時代を嘆いているだろうか。
訊ねるすべもないが・・・・
この地方で発刊の9/30付・夕刊。中日新聞12ページ。日経10ページ。毎日10ページ。
そして岐阜新聞8ページ。朝日は毎土曜休刊日、読売は夕刊を発行していない。
どの紙面も工夫を凝らしてはいるが、読者の減少を反映してか紙面に力がない。
各社とも発行する度に赤字であろう。それでも使命感を持って発行を続けている。
その努力に敬意を表するものではあるが、岐阜新聞夕刊廃止を切っ掛けに、
もう一度、夕刊の役割と価値を問い直してはどうだろうか。
一体夕刊は読まれているのか。誰が読んでいるのか(購読世帯で)
読者は夕刊に何を期待しているのか。どの紙面が読まれるのか。
ビッグデータの時代です。調査すればすぐにわかること。
使命を果たしていないのなら、果たす紙面に改革せねばならないし、
使命が終わったと判断すれば、廃刊すべきだし。
朝日の週休制、毎日の北海道、九州地区での休刊。
何を拘っているのだろうか。ひょっとしたら、見栄やメンツで
発行続けているだけではないか。
如何に新聞は社会の公器だと力んでみても、読者不在に何の意味があろう。
ここは、岐阜新聞社夕刊休刊の英断に敬意を表しておこう。
そして、新聞命(しんぶんいのち)の私としては、夕刊を休刊したことで起こる
新聞社の変化をじっくりと見させてもらいたい。Goto
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9/30岐阜新聞

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