いらなくなったらポイッ

排除の論理とペットを捨てるのと・・・どこか似てませんか。
ACジャパンが若い人に公共広告を理解して貰おうと、
広告学生賞を設けて、今年で13回目・・・
グランプリ受賞したのは、京都造形芸術大学の三枝瑞季さん(写真参照)
「鳴き声がうるさい」「言うことを聞かない」「思ってたのと違ってた」
彼らも私達と同じ一つの命です。人懐っこい子もいれば慣れない子も
お利口な子もいれば覚えの悪い子だっています。
動物はただ可愛いだけの都合の良い道具ではありません。
飼い主には彼らの一生を背負う覚悟が必要です。
飼う前にもう一度、しっかり考えて・・・・・
何となくですが、今回衆院選結果を眺めながら・・・
「いらなくなったらポイッ」・・・「国民がポイッ」とされるんじゃないか・・
そんな気がしてならないのですが・・・・
民主主義とは・・・違う意見を受け入れること。そう識者は言う。
私もそう思うのですが、どことなくですが、この発想って、
権力的と申しますか、上から目線を感じませんか。
中国の歴史小説を読むと必ずですが、偉人は権力を持って尚、
耳の痛い話、諫言を聞き入れる度量があるかどうかで人物評価をします。
それって裏がえせば、人は自分の思いや考え、行動を否定されることを
好まないってことになります。
いくら謙虚な人でも、どこかで自分の意見や考え方は間違っていない。
自分が一番偉い。自分の生き方は正しい。人にとやかく言われたくない。
そう思っているのではないでしょうか。
だから、民主主義って難しいのかも知れません。
この衆院選で、野党の潮目が変わったのは、
希望の党代表が民進党との合流にあたり、憲法で踏み絵を踏まない人たちを
「受け入れるつもりはさらさらない」と
「排除の論理」を振りかざしたところからでしたね。
国のあり様を決める憲法で意見が違えば、同じ政党を構成するのは難しいと
考えたのもわかります。これだけ短兵急な解散。ましてや急造政党・・・
まずは受け入れる度量があって然るべきだったのではとも思いますが。
政治闘争で最も簡単な論理は、相手を否定することです。認めないことです。
そのことによって、同じ意見の人たちの団結は強くなります。
しかし、否定された人たちには利害を越えた怨念が残ります。
これが非常に厄介なモノで、
一度そうなりますといつの頃かそれが私怨に変わり・・
お互いが「排除の論理」を振りかざし・・手の施しようがなくなります。
民主主義が違う意見を受け入れる(少数であっても)政治制度って本当なのか。
どうも、そうは思えないのですが。私だけでしょうか。
意見が違えば、それは不要。いらなくなったらポイッとペットを捨てるように、
排除してしまうのが政治なんではないでしょうか。Goto
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10/21朝日新聞

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