世の中、ブラックばかりじゃない、ホワイトもあればグレーもある。
昨今、企業調べでホームページを開くと、
どの企業でも「ブラック」コーナーがで出てくる。
そこには、言いたい放題、企業を批判し誹謗中傷する匿名の書き込みが。
本当にそうなんだろうか。日本の企業はどこもが・・ブラックで、
従業員は企業に対し不審を抱き、不満を持っているのだろうか。
だとすると、企業の存在意義は何なんだろうか。
ブラックとは一体何を意味するのだろう。
政治で言えば、体制がブラックで、反体制がホワイト、
民の声だと称して行動するのがホワイトで、
自分の考えや主張で行動する政治家はブラック。
本当にそうだろうか。世の中には中間色もあるのだが。
企業の職場もそうである。
現代は明治の女工哀史の時代ではない。過酷な労働を強いる職場など稀にしかない。
そんな職場を一罰百戒、ブラック企業として糾弾するに異論はないが・・・
職場で何かチョッとでもトラブルが生じれば直ぐに、ブラックだとレッテルを貼る。
人間関係の反りが合わなくてもいじめだとブラックだという。
1分でも一秒でも規定時間より長く働くと、それもブラック。
常軌を逸しているのではないかと思う。
教育現場もそうだ。
教師が部活の指導するのも時間外になるからブラック労働だと言う。
では、日本中に部活要員の人材を増やせるのか。無理なら部活を全てやめるのか。
古い議論だが、教師は労働者なのか、それとも聖職なのか・・
教育の根幹を労働時間と言う一面で捉えてはならないと思うのだが。
昨今、生徒管理要項である校則もブラックであるとの批判がある。
生まれ付き茶髪の女子生徒が、髪は黒髪でなければならないと言う校則に
反するからと黒く染めるように指導されたと、教育委員会を訴えたそうだ。
メディアが「ブラック校則」を是正せよと煽っている。
学生が髪を染めることを是とするか否とするかが議論になるべきで、
生まれながらに茶髪の子を黒髪にせよと指導したこととは論点が違う。
そのことをとって、校則をブラックと決め付けることに無理がある。
時代にマッチしていないなら、見直せば良いが、本分、本質を抜きに、
何んでもかんでも、ブラックにして校則を変えるのも問題である。
だって、70年前の憲法が絶対だと一行も変えるなと言う国民が半数いるのだから。
ことほど左様に、世の中、ブラック悪説が横行している。
実にバカバカしい風潮ではないか。
ブラックといえば、有馬記念を制し、GIレースで7勝した「キタサンブラック」・・・
まさか、ブラック批判に耐え兼ねて引退するんじゃないですよねぇ。Goto
コメント
おはようございます。
とても分かりやすいお話ありがとうございます。
最後の憲法のくだりが、・・・・・・。ハッとさせられます。