宗教観

自分の力ではどうにもできない時、静かに合掌することも・・・
合掌して挨拶するタイの少年たち・・・生還できて本当によっかたね。
今更概況を説明する必要もないのだが・・・タイ北部の洞窟から救出された少年たち・・
後遺症の治療も含め検査入院していた彼らの健康が確認され退院、
記者会見の模様が報じられた。良かったですね。本当に・・
少年たちの頑張りに拍手ですが、同時に国家をあげての救出作戦を敢行した
タイ軍、警察、消防隊、英国を始めとする国際救助隊に改めて敬意を表したい。
そして、絶対に救助せよと厳命されたであろう「タイ国王」を忘れてはなるまい。
今後、救出の模様や暗黒の闇に押し込められた日々が
ドキュメントや本、映画などで赤裸々に報じられるでしょうが。
私は二つのことを思います。
一つは笑顔です。
記者会見・・・発見された時・・・・その様子をと聞かれ・・・
「素晴らしい瞬間だった、どう反応すれば良いか分からなかった」と
英国人ダイバーを見て思った。発見に戸惑ったのはダイバーの方ではないか。
9日間も閉じ込められていた少年たちが笑顔で迎えたのに驚きです。
普通なら憔悴しきり、安堵で泣きだすだろうに笑顔だったこと、
何と表現して良いのか分からないが、
笑顔が彼らを生還に導いたのだと思わざるをえない。
もう一つは、あのごく自然に手を合わせる姿です。
タイ人の礼は日本人のお辞儀と同じ、合掌に始まり合掌に終わるからだというが、
手を合わせるのは仏教の作法。国の背景、国民の背骨に仏教が染み込んでいるのでしょう。
これは私の持論ですが、宗教観のない人間は芯のない軟弱な人間だと思っています。
どの宗派がということではありません。
少なくとも救出された少年たちには人と接する時には、
相手を神仏のように敬い、尊ぶ、そうです。尊敬の念を抱けと教わってきたのだと思う。
人は一人では生きられない。自分と自分の周りの人たちに見守られ、
助けられて生きている。その宗教観が彼らを救ったのではと・・・
ふと考えます。
豪雨被害に駆けつけるボランティアの人たち。
この猛暑の中、メディアが熱中症に注意をと呼び掛ける報道に、
自分たちがそこに行けないもどかしさを感じているのでしょう。
引け目かもしれません。
困ったり悩んだり、苦しんだり、人は厄介な生き物ですが、
自分の力ではどうにもできないことに出会った場合、
自分の範囲内でできることはないかと必死で考える。
でも何もできないことばかりです。
そんな時、相手のために祈る。それしかできないと思わないで、
ただ祈る。そんな支援の仕方もあるのでは・・と
タイの少年たちが合掌する姿から学びました。Goto

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