情報資本主義の危うさ。

新聞が買収される米国。情報・知識は市場競争原理に馴染んではいけない。
中日新聞に米国の新聞がファンドの餌食になっているとの記事が掲載、ふと思うことが。
1970年代。製造業を中心とする資本主義はもはや限界状態にある。
製造業中心の脱工業社会から、情報・知識中心の脱工業社会への移行が唱えられた。
社会学者のダニエル・ベルが著した「脱工業社会の到来」がそれである。
来るべき情報・知識社会とは市場競争一辺倒の社会ではなく、
公共的な計画によって人々の公共的な生活を向上させる社会だと唱えた。
その理由は情報・知識は本質的に公共性を持つため、それは市場競争の原理には
なじまないからである。私的利益の対象とみなすよりも、
それらを人々の公共的な生活の質の向上のために使うべきだと主張したのである。
(朝日・異論のススメから)
私の知る限りでは、この説、前段の部分、脱工業社会を日本で明確に唱えたのは、
堺屋太一氏で、同一規格、大量生産のものづくり時代は終焉を迎え、
今後先進国は知恵の価値が問われる「知価革命」時代が訪れると喝破。
日本も早く構造改革が必要と訴えた。米国に遅れること、20年、1990年代のことである。
資本主義が発達する過程で、情報・知識の公共性をいち早く認識し、
市場競争とは一線を隠し、資本主義への警鐘を鳴らしてきたきたのは、
新聞メディアだと私は認識している。
その新聞は公共性を堅持するが故に(そう思いたい)80年代に台頭する
新自由主義的な市場競争や90年代のIT革命によって、情報や知識が市場で
莫大な利益を生む強力な新産業へと成長したにも関わらず、新聞はその波に乗り遅れた。
ネットに広告収入を奪われた米国のローカル新聞は一気に衰退を始め、
本来の機能である情報・知識での影響力を低下させている。
その現状を見定めた、新産業群(IT大手)とファンド集団は一斉に新聞社の買収を仕掛けている。
彼らの狙いは、記者をリストラすることで、このビジネスモデルを
高収益体質に変貌させ、ビジネス果実を搾り取り、捨て去ることにある。
情報・知識の持つ公共性という発想は彼らにはない。
新聞メディアが存在しなくなれば、それこそ、情報資本主義は危機に陥る。Goto

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