「信頼と共感のジャーナリズム」ってなんなの?
最近やたらと新聞記事に記者の名前が入るようになりました。
ネットで配信されるニュースでは当然かも知れませんが、どうなんでしょうか?
新聞はその「題字」が顔です。朝日は朝日の。読売は読売の……
毎日は、日経はそれぞれの「題字」が、新聞を形成していると思っています。
敢えて記事の末尾に記者名がいるのかと疑問に思うのですが。
朝日新聞が「顔の見える新聞とは」をテーマに「あすへの報道審議会」なるものを開催、
読者とパブリックエディターと編集部の三者の議論が報じられました。
そこで論じられたのは「新聞の顔」とはなんぞやです。
東京本社編集局長曰く……
「信頼と共感のジャーナリズム」の旗を掲げ、
記者の署名記事を増やすこと……
今までは客観性や正確性を重視するあまり「親しみにくいのが朝日」
そんなイメージがあったが、「親しまれ、共感され、そして客観性が高い」記事が
多く掲載されること、それは記者の署名入り記事、それこそ「朝日の顔」ではないかと。
因みにですが、パブリックエディター(PE)制度とは、社外の有識者3名と社員1名で構成、
内外の声に耳を傾け、日々の報道改善に生かすことを目的に2015年設けられた。
年3回開催され、読者代表として朝日新聞の報道を点検し、新聞社に説明と改善を求めている。
なぜ、社員がそこに加わっているのか、疑問だが、外部の声を聞く姿勢には敬意を表する。
PEのひとりは「朝日の顔は多様性ではないか。声をあげにくい人の思いをすくい、
権力に不都合な事実を暴くなど社会の多様性を担保すること」だと論ずる。
「新聞とは権力に抗い。弱者の側に立つ」のがそもそもの使命であって
権力に迎合する新聞を新聞とは呼ばない。権力の「機関紙」という。
私はこのブログを11年半、毎日書いている。
テーマは「新聞を読もう」である。新聞離れが急激に進んでいる。
理由は色々あるだろうが、私の考えは至ってシンプルである。
「読まれない」のは役立たないからである。今風に言えば「面白くない」からである。
同時に、情報が只の時代に、購読料金が高いからである。
この1月から読売新聞が値上げをした。今までだと、朝日が追従し、
ブロック紙が上げ、ローカル紙がその後に続く。でも、朝日は値上げの発表をしていない。
新聞の顔は「題字」である。記者の署名入り記事を多く掲載することで、
「顔が見える」のではない。新聞の本来の使命をより強固にすることが、
実は役立つ新聞であり、面白い新聞なのだと思う。
乱暴に言えば、PEの声など聞かなくて良い。大して意味はない。
「信頼と共感のジャーナリズム」などと生ちょろいことでは新聞の使命は果たせぬ。
朝日は朝日の「題字」を貫いて欲しい。それこそが「顔の見える新聞」ではないか。Goto
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