国民の知的レベルが民主主義を醸造させるのかな。
日本はとても良い国です。ネットで何を発言しようが、ウソを言おうが、
基本的には罰せられることもなければ、批判されることもない。
言いたい放題、書きたい放題の国です。
それを逆説的に申せば「憲法で表現の自由が保障されている」ってこと。
つまり、どんな劣悪な内容であろうと、他人を傷つけようと、
「表現の自由」は認められるってことです。私には理解できませんが。
最近、東南アジア諸国では、フェイクニュースは国家を混乱させる。
放置してはいけないと、シンガポール政府では虚偽と判断した情報には
削除や訂正を求めることができ、個人にも最大で禁錮10年など
厳しい罰を科す法案が国会に提出された。他の国々も追従する動きが活発になってきた。
こんな、偽ニュース規制の動きが見られると、
途端に、そもそもシンガポールは報道自由度が低く、交流サイトなども広範に
規制している国。この新法が通れば、言論の自由が更に規制される懸念があると、
法案成立を危ぶむ声があがる。
そりゃ、何が真実でウソかを見極めるのは難しい。しかしその裁量権を
政府が握っているのには疑問だが、誰かが、チェックせねばならない。
であれば、時の政府が見極める以外に方法はない。
マレーシアでも前政権が18年4月に「虚偽情報を発信した個人や企業幹部に
罰則を科す「偽ニュース対策法」を駆け込みで成立させた。
政権交代後、マハティール首相は同法案の廃案を目論んだが、上院が否決、
廃止は暗礁に乗り上げたまま、対策法は通過したままで規制される。
私は思う。「表現の自由」がないような国を民主国家とは言わない。
しかし「偽ニュース」を放置する国を法治国家とは言えない。
欧米でもアジア諸国と同様に偽ニュースの対策や調査を進めている。
そうなると、日本はアジア諸国のような「規制」に取り組むこともせず、
欧米の出方を待ってどうするかを決めることになる。何とも軟弱である。
果たしてそれで良いのか。それで良いと思う。
なぜなら、民主主義国家を標榜するとは、身勝手をも認め、
迷惑をも肯定する主義だからです。偽ニュースであるかどうかを見極めるのは、
所詮は、国民の裁量にあり、国民の知的レベルが問われるモノであって、
国家が介入する手合の課題ではないからである。Goto
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