これが朝日新聞のオピニオンか?

熱くなっているのではありません。新聞は誰のために、何のためにあるのか、疑問です。
私は毎朝、6紙の新聞を捲っています。同じニュースでも、社会的な出来事でも
新聞によって見方がこんなに違うのかと思うことがあります。
例えば、朝日新聞の「多事奏論」という、オピニオンのページで週に一度登場するコラム。
6/12日付です。「多事暴論」にタイトルを変えてはどうかと思うほど酷いコラムです。
何と申しましょうか。昔「ダメなものはダメ」と頑なさを売り物にした、
女性党首がいましたが、その党は、今や風前の灯です。この参院選で政党要件が消滅するかも。
その政党の主張よりも酷い、これが朝日のオピニオン?
「暴論」の中身はこうです。「昭和五輪は1964年、昭和万博は70年の開催である。
当時の日本は人口増加社会で成長力もある。いわば新興国。社会インフラも脆弱、
いずれ造る必要のある道路や鉄道、公共施設を五輪や万博をきっかけに一気に
整備することは、道理も合理性もあった」
「今はそんな状況では全くないのに、なぜ、昭和の夢よもう一度とばかりに
20年の東京五輪、25年の大阪・関西万博をやるのか」「巨大イベントで景気を浮揚し
経済成長を実現する…そんな神話、現代でも受け入れやすい。すでに決まったのだから、
今更異論を言っても始まらないとの意見もあろうが、国民にとって、大きなツケになる、
やめた方が良い」そんな論調です。
五輪、万博を……これほどまでに否定する新聞は朝日だけです。
この後に及んで、方法や将来を論じるなら分かりますが、
頑なに否定は如何なものか。それも「ためにする批判」で。
これが天下の朝日、オピニオンのぺージで、堂々と論じられる主張です。
論説委員氏に申し上げます。あなたの生活って、節目はないのですか。
イベントなどとは無縁一切はない。参加もしないのですか。多分そうなんでしょうねぇ。
人間という生き物は、いつ何がある。あるいは、あの日に何をやる。
冠婚葬祭がその最たるものですが、そんな少し先の楽しみや喜びに向かって生きるものです。
力を合わせるものです。それを全否定するなんて、それが朝日のオピニオンだとすると、
虚しいですね。人がわかっていない。
日本中のアスリートが、東京五輪に出場したいと、青春を賭け、汗を流しています。
彼らを応援しているのは、家族や友人、知人の関係者だけではありません。
地域を上げて応援し、頑張る彼らから多大なるエネルギーをもらっています。
この編集委員氏は、五輪は多大な税金をつぎ込む、無駄だ、そんな金があれば老人福祉に
回せという。税金は国民すべてのものです。若い人たちにも恩恵があって然るべきです。
五輪のために使うのはおかしいという論ほど、税の使い方の偏見の象徴です。
25年開催予定の大阪・関西万博も同様です。あの大阪臨海部、夢洲、
何年放置されていましたか。それを何とかしようと、大阪人の夢です。
そうそう、70年開催の万博の大阪千里。あそこに朝日新聞社のビルが建っているのはなぜですか。
跡地を国から貰い下げたからではないですか。それとこれとは別モノって言うのでしょうか。
それは、それとしましょう。でも、私は大阪・関西万博を「宴の後のあの島」が
これからどうなるのか。目を凝らして見てみたいと思っています。
如何にも最もらしく、否定する論に憤りを覚えます。少なくとも、
なぜ、大阪・関西万博なのかは、大阪府知事、市長で大阪維新の会前代表の橋下徹さんが
多くの著作で述べています。読んでみてはどうですか。
そんなものは、読んでいると開き直るなら、読解力を疑います。
世の中のことが何もわかっていない人が、編集委員になる朝日新聞に
首を傾げます。少なくとも朝日新聞って、なんのためにあるのかと問うてみたい。Goto

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