表現の自由

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」について思う。
台風10号、日本海には抜けましたが、大型のせいで、
この辺りは一晩中、暴風雨。今朝も吹き荒れています。
自然は思うに任せないって申しますが、今日から仕事、台風一過といきたいものです。
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(3年に一度開催される国内最大級の
現代アートの祭典)の企画展「表現の不自由展・その後」が中止され、波紋が広がっています。
「憲法21条の表現の自由」が焦点になる難しい問題です。
安倍首相が「憲法改正」に力がこもっているときです。
憲法問題は9条だけではありません。この21条、取分け「自由」についても
どのように解釈するのか議論する必要があるのではないでしょうか。
2017年。文化芸術基本法改正が国会で成立しました。
芸術を社会基盤に据え「文化芸術立国」を目指す取り組みを国に求めました。
官主導で文化芸術を観光や街づくり、産業に結び付ける多様な施策が進められています。
アート市場の活性化もその一つで、あいちの芸術祭もその範疇にあります。
不自由展の見直しを求める意見に共通するのは「公的施設を使い、
公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をすべきではない」という考えです。
「行政の意」とは何かについて議論はあろうかと思うが、その考え方は正しいと思う。
展示された「元慰安婦を題材とする平和の少女像」は韓国が政治的意図を持って、
世界各地に設置しています。日本は政府をあげて抗議しているという現実です。
主催者は、そのことを承知の上で、少女像を「展示」しました。いわゆる確信犯です。
であれば、当然ですが。大きな問題になるのは覚悟のハズです。
なぜ、中止したのでしょうか。抗議や脅迫が相次ぎ、断念せざるを得ないのはわかります。
でもです。「表現の自由」について考えてもらう企画と胸張ったなら、
あまりにも覚悟が……と申し上げねばなりません。
現代アートだけではありません。芸術は現実を肯定して生まれるものかといえば、
そうとは限りません。むしろ、反体制であったり、アナーキズムの思想から
生み出されることが多いものです。そこまで踏み込んで、行政が施設を貸し、
補助金を出したとは思えませんが、批判がクレームがで中止へと圧力を掛けたとすれば、
これまた行政にも覚悟が足らないのではないでしょうか。
私は思います。歴史が証明しているように、集会の自由や、結社の自由、
出版の自由は与えられるものではない。ときの権力と対峙して勝ち取るものです。
と考えれば、この「表現の不自由・その後」の展示は、公共の施設以外の場所で、
開催すれば良いのではないでしょうか。
それで、一人でも共感者が現れれば、それこそが、芸術ではないでしょうか。
いやむしろ、誰にも理解されなくても、もちろん、憲法で保障されなくても
「堂々とやれば良い」と思います。それが、表現の自由ではないでしょうか。
まだ、「あいちトリエンナーレ2019」に足を運んでいないので、
我が社のクリエイター諸君と覗いて見たいと思います。Goto
注。憲法21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

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