既視感

偏見を持って記事を書きますと手抜き取材になります。
「正しく聞く」と書いて新聞と読む。朝日・新井紀子先生のメディア私評から。
ネットで「いつでもどこでも、誰でも」が地球の裏側の情報が瞬時に
入手できると言うが。日常生活で知り得る情報は極々限られたものです。
新聞本来の役割は「読者の目となり耳となって、手に余る膨大な世界の情報を
公正な立場で要約し整理してくれること」に価値があります。
端から賛成、反対の先入観を持っては公正さを欠きます。
義務的に「対局意見」を掲載することで「両論併記」の形をとって、
読者を意図的に先導するのも異常な行為です。
新聞を読んで判断するのはあくまでも読者でなければなりません。
最近、敢えて最近と書きますが、朝日の記事に既視感を覚えるのは、
取材先を固定していて、同じ対象者を選んでいるからではないでしょうか。
原発の問題なら、あの人。教育なら有名私立校の校長。環境なら誰々と。
朝日の主張に合致する人を何度も登場させています。
私のように「新聞命」で新聞大好き人間。毎朝6紙の新聞に目を通していますと、
自ずから、この問題だと朝日は大体こんな傾向の人を毎回取材対象にするというのが、
わかってきます。ですから、既視感を覚えるのです。
記者の劣化なのか。それともそもそもが偏見を持って記事を書くのが社風なのか。
いや、朝日だけではありません。読売はその対局にありますので、
読売は読売なりに取材対象を固定しています。
問題は、そのことに気付かず、惰性と申しますか、義務的にそうしていることです。
気付いていても、そうすることが、最も安全であり、新聞社的に波風立たないから、
そうなっているのではないでしょうか。新聞の不思議ですが、同じトーンの記事を
読み慣れてきますと、それが未知のものに感じられてしまいます。未視感と申します。
まさか、新聞が世論操作で既視感と未視感を使い分けているとは思いませんが、
新聞の影響力は今尚大きなものがあります。記事には公正性を貫き、
記事によって判断するのはあくまでも読者であることを忘れないで欲しいと思います。Goto

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