自虐史観

天声人語の書写を続けて10年近くなります。ハイ!
このブログ、今日で4786回目です。13年以上毎日書いていることになります。
先日のことです。ある方から・・・読んでいただいているのでしょう。
「あんたあのブログいつまで続けるつもり」と・・・
何でそう言われたのか?理解できませんが、答えに窮していますと、
「よくネタが続くねぇ」と。「いや、新聞が好きなので新聞から拾ってるだけです」と。
「選別する基準ってあるの」と「別段ありません。手当たり次第です」
「へぇー、根拠も脈絡も無いんだ」「ハイ、申し訳ありません」・・・
そんな情けない会話を交わしたんです。
質問にお答えしていませんが、現在の心境では「13年も続けていますと、
今や生活の一部です。日課になっています。朝起きることと同じです。
ですから、その日のブログがアップされていなかったら、死んだか、それとも、
ネット環境にトラブルが起こったかだと思って下さい」と申し上げるしかありません。
話は変わりますが。我が社では全社員に朝日新聞の名物コラム「天声人語」を
書写することを日課にさせています。全社員が真面目に取り組んでくれています。
広告の仕事は・・・社会の課題や問題から離れることはできません。
社会を知ること、社会と向き合うことで成り立ちます。
それには、新聞を読むことだと思っていますが、残念ですが・・・
現実には新聞は遠い存在になりつつあります。そこで、せめて新聞と関わるために、
「天声人語」で新聞に親しむのが良かろうと思い実施しています。
始めてから、10年近くなります。
営業職の人はクライアントとの話題に事欠くことがありません。
クリエイターは想像意欲の潜在的知識になります。
事務職の人には日常生活の潤いになっています。
このブログに脈絡は何もありませんが、書き続けるテーマはあります。
テーマ通りの内容にならないのに忸怩たる思いはありますが、
テーマは「新聞から学びましょう。新聞は人生の師」・・「新聞を読もう」です。
10/22付・天声人語。読んで仰天でした。
朝日といえば「自虐史観」です。戦後75年経っても先の戦争が犯した罪を
許すことはできない。その贖罪から逃れてはならない罪を償い続けろが朝日の姿勢です。
その朝日が先般亡くなった歴史家・板野潤治さんの研究を引用して、
板野さんが先の大戦に対して繰り返し指摘したのは凝り固まった戦前・戦中・戦後観で
戦後だけが輝いたのではない、戦前にも民主主義の花が咲いた時もある・・・
「あの時代は真っ暗だった」と断じる愚を批判した・・・と。
それって、朝日の自虐史観への痛烈な批判じゃないのか。
それを、朝日の看板コラム「天声人語」に書き込むなんて、仰天です。
長くなりました。ことほど左様に新聞社も揺れているのです。
私のブログも場当たり的で脈絡がありません。お許し願います。Goto

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