葬儀変遷

コロナによって死生観も宗教観も考え直さねばならないかも・・・・
コロナ禍って、色んなモノを変えていますが、葬儀のあり方や
死生観や宗教観までにも大きな影響を与え始めています。
難しい問題ですが、考えてみたいと思います。
コロナ感染で死亡しますと、近親者の「看取り」がままなりません。
もちろん、葬儀もできなければ、火葬後でしか遺体を引き取ることができません。
「人の死」が持つ公的な意味合いを消さざるを得なくなっています。
葬儀も家族葬ってことになります。
以前から葬儀は不要ではと思っていた人たちにとっては、
コロナが引き金となって、葬儀という伝統やしきたりに縛られることがなくなったようです。
それと、長寿化です。故人を知る人も少なくなり参列も減ります。家庭で見送ればと。
長寿化は死生観にも変化をもたらしています。
人生100歳時代です。高齢施設に入ると、家族以外は誰も見舞いに行かなくなります。
そのまま亡くなるケースがほとんどです。人々の記憶の中では施設に入ると
「故人」になってしまいます。死生観も自ずと変わらざるをえません。
宗教観ですが。そもそも宗教は人の苦しみ、悩みと向き合います。
疫病を治すのは宗教者の大きな役割です。疫病を契機に布教活動が活発になり、
奈良・東大寺の大仏は疫病を抑えることを祈願して建立されました。
今、このコロナ禍で我々が頼るのは、科学や医療です。もちろん、神社仏閣では
コロナから身を守りたいと祈りますが、ワクチン開発ほどには期待していません。
宗教学者の島田裕巳氏は「宗教はコロナで苦しむ人々を救うことができていない。
世俗的な価値観が強くなり、宗教的な論理が通用しなくなった」「今後、ますます
宗教は必要とされなくなるのでは」と。
コロナ禍は、葬儀なる儀式を変遷させるだけでなく、
死生観さえ曖昧にし、宗教そのものにも疑問を投げ掛けることになっています。
コロナって、いったい何なのでしょうか。いや、人類とはと問う方が正しいかも。Goto

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