空気に翻弄されている。

テレビメディアは民主主義の亡霊に怯えるな。           
今年は、この地方も雪がよく降ります。                  
正に「春は名のみ」です。このところ週末に降ります。         
ですから、唯一の趣味であるゴルフにも行けません。              
晴耕雨読ならぬ。雪読ですが、そこはそこ、世の中は良くできていますね。
北京冬季五輪が、穴を埋めてくれます。日本選手の活躍もですが・・・
青春の全てをスポーツに打ち込む若い人たちの姿をテレビ観戦するのは良いものです。
まだ観ていませんが・・・「テレビで会えない芸人」という映画が封切られました。
業界の端くれです。気になる映画です。ぜひ見てみたいと思います。
朝日新聞の文化欄の解説に思わず納得しましたので・・・
最近のテレビ、社会風刺や政治批判の芸人には出演の機会が全くありません。
ひと昔前は、毒舌の落語家や漫談家などが、カメラの前で、大見得を切っていたものです。
しかし、今では皆無です。政治に関心のない人が増える原因かも知れません。
映画は鹿児島テレビのディレクター氏が「テレビでは放送できないネタばかりやる芸人」が
いると知り、テレビドキュメンタリーの制作を決意。テレビがなぜ「だせない」というのか
に着目。2019年7月に放送されました。それが話題になり、翌年には長尺版が放送され、
関東ローカルでも流れ、日本民放連盟賞などを受賞、今回映画化されました。
テレビが放送できない芸人を放送して日本民放連の賞を獲得するのです。
まだ、テレビは死んではいないかも知れませんね。放送後、クレームはなし、
SNSでの批判もなし、にも拘らず「テレビに出演できない芸人」は歴然と存在します。
どうなっているのか。映画の監督となったテレビマンは言う。
90年代のテレビの基準は「面白いか、面白くないか」だった。1億総白痴化といった評論家も。
それが現在では「大丈夫か、抗議が来ないか、という言葉が一人歩きしている」
常に先回りしてクレームに備える。・・・そうなのです。
テレビ局が自分たちで表現を萎縮させ、何となくの空気で自主規制をしてしまっていると・・
問題の本質を突く。今テレビ局に蔓延しているのは・・自主規制という
都合の良い言葉に代表される・・・コンプライアンスやリスクヘッジによる安全志向。
政治を風刺した芸人を出したりすれば、時の権力から圧力が掛かるかも・・
SNSで批判されるかもという恐怖心に怯えているのです。
それを情けないと言うのか、保身というのかは別として・・・
映画「テレビで会えない芸人」はこの国の自由も活力も・・・
この国の大衆が自ら塞いでいるのだと思わずにはいられません。
それが民主主義の亡霊というのでしょうか。・・・思わず納得しました。Goto

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