今日はお釈迦様の誕生日です。天上天下唯我独尊の意味を考えてみる・・・
もう何年前になるでしょうか・・・見かけ無くなって50年ですかねぇ。
岐阜は仏教が盛んな地です。いや、でした。と言った方が良いかも知れません。
毎年、4月8日、お釈迦様の誕生日には、花祭りが盛大に行われていました。
花祭りは僧侶を先頭に象ではありませんが、車に「誕生仏」を乗せ、
信徒たちが引き、稚児行列を最後尾にした行列が市中を練り歩いたものです。
見物の人々が沿道を埋め、高齢者たちは「誕生仏」に合掌し、
紙に包んだお金が誕生仏に投げられたのを覚えています。
なぜ、岐阜の街に仏教徒が多かったのか。
私が知る古い話では、江戸時代初期、徳川幕府は「美濃を制するものは天下を制す」
などといわれた反動で、美濃から有能な人材が輩出されることを嫌いました。
その結果、この地域は細かく分割され、領主に力を付けさせませんでした。
その結果、多くの優秀な人材は京都に向かい、僧侶になる人が多かったといわれます。
それらの僧侶が美濃に戻り、多くの宗派が寺を興したと言われています。
ですから岐阜は寺の多い街です。そんな僧侶の教えが広まり、岐阜は信仰心の
厚い街になりました。そんな言い伝えが。それらの寺が合同で「花祭り」を催したのです。
その名残が戦後も続きましたが、時は移り花祭りの行列はなくなり、
今では寺院にある「花御堂」でお釈迦様の誕生を祝います。
花御堂のなかにはルンビニーの花園よろしく色とりどりの花で飾られ、
水盤に乗せた誕生仏を安置、この水盤には御釈迦様の誕生を祝って
大地から芽生えたとされる蓮の花をかたどっています。
誕生仏は右手で天を、左手で地を指しています。お釈迦様は誕生と同時に歩き、
右手で天を左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と唱えたといいます。
この姿をかたどった像が「誕生仏」です。
「天上天下唯我独尊」とはどんな意味でしょうか。
何となくですが、唯我独尊というと、独善的に自分ほど偉いものはないなんて思いますが、
かけがえのない個人の尊厳を示したものと訳されています。
どんな人も尊い目的を果たす為に人間に生まれてきたのだと、
すべての人は平等である・・・それが唯我独尊の意味だそうです。
4月8日。花祭りの行列を目にすることもなくなりました。
御釈迦様の誕生日、自分の生き方や考え方が、間違った唯我独尊になっては
いないか、不老不死の飲み物である甘茶を頂きながら、チョッピリ考えてみるには
良い日ではないでしょうか。Goto
コメント