創立記念日

46年前・岐阜の名刹・大龍寺に一陣の風が吹きました。
今日はメーデーです。労働者の祭典、若かりし頃はデモに参加したものです。
それが昨今は連合系の組合はゴールデンウィークの谷間になるからって、
日にちを変えて式典を行うことが多いようです。
労働運動も時代と共に変遷するのはわかりますが・・・
せめてメーデーぐらいは、5月1日に祝って欲しいものですね。
でなければ、SNSを活用してはどうですか。テレワークメーデーなんて。
5月1日は我が社の創立記念日です。
今年で創業45年です。あの日から46年です。ずいぶんと遠くへ来たモノです。
1976年秋・ドウダンツツジが真っ赤に紅葉する・・岐阜北部にある名刹・大龍寺。
当時その境内をお借りして、ゴルフの練習場を経営していた親父殿。
私はと申しますと、その練習場で早朝から深夜まで、休む間も無く働いていました。
早朝から球拾い。球洗い。打球場の掃除から防御ネットの修理まで・・
それと併設する食堂の仕込みまで・・ほとんど一人でこなしていました。
楽しかったですねぇ。
そんな秋の日、中日新聞の加藤巳一郎社長(当時専務)が来訪されました。
親父殿は大龍寺の書室を借り、加藤社長を招き入れ、研山老師が抹茶を立てて
下さり、話し合いが持たれました。私は別の間にて控えていました。
手入れされた枯山水の庭を眺めながら、和気藹々と話しが・・・
その笑い声を耳に、そこに一陣の風が吹いたような・・・
その会談を切っ掛けに、翌年の5月1日、中日新聞の拠点代理店(中日新聞の
岐阜県版を扱う広告代理店)として、岐阜・金華山の麓のボロ屋を借りて看板を上げました。
創立時のメンバー7名。営業は5名、折しもバブル経済へと・・・
中日新聞の広告紙面は日々満稿の状態でした。
そんなある日、親父殿が「額」をぼろ事務所に持ち込みました。
額には書道家・毛利柳村師が揮毫した「飲水不忘掘井人」と・・・
「飲水不忘掘井人」とは文字通り「水を飲むときには井戸を掘った人を忘れるな」の意味で
「飲水思源」とも申します。我が社が今日あるのは、名刹・大龍寺に吹いた、あの時の
一陣の風であることを忘れてはならないとの戒めです。
5月1日・・・私は毎年。親父殿が眠る仏壇にて加藤元社長に合掌し、
ご恩を忘れてはいないか。報恩謝徳の精神が揺らいではいないか。
親父殿が他界してから35年間教えを守っています。Goto

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