思い出しました。小学校の4年生だったか・・・学校から地元の新聞社見学に。
輪転機が唸り声をあげて・・・新聞を送り出してくる・・「50紙ごとに区切られるんだよ」と
説明してくれた、印刷局のお兄さんの笑顔が鮮明に浮かびます。
新聞ができるまでの説明は雑踏の編集局で教わりました。
耳に鉛筆を挟んだ、おじさんたちがイキリ立っていた姿も忘れられませんね。
帰りに、鉛筆と下敷きをプレゼント。鉛筆には新聞社名が、自慢でしたねぇ。
セルロイドの下敷きには・・見学した輪転機が新聞を刷り上げる模様が印刷されていました。
鉛筆が小さくなるまで新聞づくりの話題で盛り上がりましたね。
我が愛読紙・石巻日日新聞に・・東松島市立赤井小学校の5年生22人が
震災伝承施設「石巻ニューゼ」と「石巻日日新聞社」を訪れた記事を読んで・・
そういえば・・・私も小学校の時に新聞社にと思い出しました。
石巻ニューゼとは石巻日日新聞社が運営する「ニュース博物館」のこと。
ニュースとフランス語で博物館を表わすミュゼを合わせた造語です。
館内には震災直後に発行した石巻日日新聞号外の「手書き壁新聞」実物と
被災直後の石巻市、東松島市、女川町の写真が公開されています。
大正、昭和、平成、そして令和・四時代を刻んできた石巻日日新聞を通した
石巻地域の100年の歩みをたどる写真、地元関連の書籍、
石巻のまちの足跡を見つめることができます。
子供たちは・・・石巻ニューゼで新聞メディアの役割などを学び・・
新聞社に移動、新聞の歴史や新聞のできるまでを見学、新聞を印刷する
速さに驚き・・・多くの人の手で新聞が出来上がっていくことを知りました。
新聞社見学をした小学校5年生に新聞はどのように映ったのでしょうか。
興味のあるところです。生徒の一人は「新聞記者に興味を持った」と語ります。
新聞の持つ使命が子供達にしっかりと伝わり・・新聞に興味を持つ子が増えればと願います。
石巻日日新聞は創刊110年を刻む、地域と共に生き抜いている夕刊紙です。
石巻地方になくてはならない、新聞です。
子供達が「情報産業と私たちの暮らし」の一環として新聞を学んだことはとても重要です。
米国ではネットの影響もあってか、ローカル新聞が次々と廃刊に追い込まれています。
その結果、何が起こっているか・・・議会の監視ができず、議員たちがお手盛りで
報酬を上げたり、首長が好き放題の行政をするなど、地方政治が混乱しています。
地方新聞がなくなれば、その地域の情報は途絶えます。
石巻日日新聞・宮城県石巻地方を灯す松明として・・・輝いて欲しい。
そう願うのは、私だけではない。22人の子供たちもそう思ったに違いない。
もっと多くの子供達に新聞社見学をと願います。Goto
追伸
私は何度か石巻を訪ねていますが・・
石巻ニューゼはまだ覗いていません。あの日を忘れない・・
次回には仲間を誘って是非にと思っています。
震災伝承施設の「あいさつ」文を紹介します。
石巻ニューゼは震災と石巻地域の歴史、文化を伝えることを目的に、
石巻日日新聞社が創刊100周年記念事業として2012年11月1日に開設しました。
以来、国内外から5万人を超える方々に来ていただいています。
東日本大震災直後に発行した号外「手書きの壁新聞」と被害状況の写真を展示し、
震災後、被災地石巻市・東松島市・女川町がどのように復旧、復興してきたか、
そして今の被災地についてスタッフが来館者に説明させてもらっています。
また、石巻日日新聞が大正元年の創刊以来、紙面で刻んできた石巻地域の出来事を年表にし、
郷土史に触れてもらうコーナーも設けています。
石巻地域はまだ復興半ばです。被災地の新聞社の施設として石巻ニューゼは
これからも震災を伝える活動と、復興のまちづくりで完成を目指す新しい石巻地域に、
先人たちが築き上げてきた歴史、文化を引き継ぐ活動を続けていきたいと思っています。
どうぞ、ゆっくりと館内を見学していただき、もっと深く震災、郷土史について
知りたいという方は、遠慮なくスタッフに問い掛けていただければと思います。
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