広重の版画・水道橋駿河台(名所・江戸百景)の鯉は豪快です。
最近はめっきり減りましたが、この季節になりますと、民家の庭先に「鯉のぼり」が立ちます。鯉のぼりにはこんな思い出があります。
私は3歳から18歳まで・・風呂もないアパート(24世帯が住む集合団地)で暮らしていました。それでも戦後の住宅事情からすれば、鉄筋コンクリート、4階建。長屋暮らしの子供たちから見れば・・なかなかの住居でした。
でも、集合住宅ですから、集団生活と同じですね。
幾つもの制約や暗黙のルールがありました。
今にして思いますと、それが公共のものを大切にするとか。周りに迷惑をかけないとか、同級生だけでも6人もいたのです。喧嘩の後には必ず仲直りせよとか。
人間として社会で生きるとはどういうことかを教わったような気がします。
4月の中旬には民家の家々には鯉のぼりが上ります。学校では「屋根より高い鯉のぼり・・・大きな緋鯉はお父さん・・・」童謡を教わります。アパートでは鯉のぼりをあげるスペースがない。貧しくてそんな余裕もない。悪ガキたちはそれが羨ましくってたまらない。そんな折、ひとりの悪童が・・アパートの屋上に鯉のぼりをと。よし・・とばかりに紙で作った鯉のぼりを。
それを見て嬉しかったですねぇ・・・でも登ってはいけないところです。危険の注意、叱られましたねぇ。怒る親たちは、自分たちの不甲斐なさもあったかも。風が吹いて・・あっという間にちぎれて飛んでしまいました。悲しかったですねぇ。鯉のぼりがはためく姿を見ますと毎年、なぜか・・そのことを思い出します。
歌川広重・・・「名所江戸百景」の一枚に「水道橋駿河台」があります。
江戸の5月の風景でしょうか。画面全体を覆うような豪快な鯉のぼりが。
その当時は、一匹だけが挙がっていたようです。それも真っ黒な鯉が。
吹き流しは別に。幟旗も掲げられ・・武士の家だけでなく、町家の衆も上げたようです。親子の鯉をあげるようになったのは、近代になってからですね。
版画には遠くに富士山・水道橋を行き交う人々や江戸の町並が。
端午の節句を祝う様が描かれます。さすがに広重です。みほれます。豪快です。
ふと思うのです。鯉のぼりを見かけなくなったのはなぜか・・
子供の頃・・昭和の30年代です。鯉のぼりを上げれる家は裕福。
ですから、どこの家も揚げることはできませんでした。
親になった頃は・・高度成長期・日本は元気でした。
団地の窓からも鯉のぼりが掲げられました。
めっきり減った今はどうでしょうか・・そうです。端午の節句を祝う・・
子供がいないのです。だから、鯉のぼりを見なくなったのではないでしょうか。
それもまた、寂しい話です。
鯉のぼりではないのですが・・・大リーグ。大谷選手のいるエンゼルスでは、
ホームランを打つとベンチで兜をかむる儀式があります。あれを見ていて
そうだ・・・我が家には親父殿が孫にと買い求めてくれた兜があった。
今日はそれを引っ張り出して飾ってみようかなぁ・・
それと、小さな鯉のぼりをベランダの柵に取り付けて見るか。
叱られて、悲しかったあの頃・悪ガキたちを思い出して・・・Goto
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