原爆資料館

修学旅行のおみやげは学割のもみじ饅頭でした。

広島サミットがどう評価されるかは・・・後世に譲るとしましょう。
でもこれだけは、さすが広島出身の岸田首相だと高く評価できるのではないか。
そうです。広島平和記念資料館にG7参加の首脳全員を案内したことです。

事前の交渉、国際会議では・・これが実は大変なのですが・・・
広島で開催する意義は岸田首相がこだわる「原爆資料館」の視察です。
でも原爆投下国の米国は・・最後まで慎重。米国内では原爆の投下で戦争の終結が早まったのだ・・そんな声も根強い。

米国側はバイデンだけは外れたいと直前まで視察をしぶった。
しかし、岸田首相は「G7で揃って見るのにバイデンだけが別でいいのか」と
強行だったとか。結果は全員でと・・事務方は相当なネゴをしたに違いない。

資料館の視察は40分。16年のオバマ元大統領は約10分間だったのに比べると
4倍になります。視察の状況は非公開でしたが・・「『被曝の真相』をみてもらいたい」と岸田首相の説明に始まり、首脳らは展示物の見入ったそうです。
被爆者の女性が英語で直接説明したそうです。

最後は首脳らが自由に展示を見る時間ももたれたようです。
首脳の一人は「ここに来ることができてよかった」と発するのが精一杯。
朝日新聞に掲載された・・・原爆資料館の視察を終えた首脳らの写真は一応に
厳しい顔でした。核のボタンを押す命令を下せるのは首脳らです。

新聞は岸田首相が指導した原爆資料館の視察が「歴史的」だったかどうかは
核軍縮・不拡散がどう進展するかによって示される・・・と論評するが、
「百聞は一見に如かず」石物と化した人の姿、茶色く焼けただれて歪んだ三輪車、ちぎれた学生服・・「資料館で心動かされた」「連れてきてくれてありがとう」と複数の首脳が言及したことで、歴史的ではないのかと思う。

先日・・・中学3年生・孫娘が修学旅行に。コロナの影響もあり、小学校では
修学旅行も卒業式も中止。もちろん遠足も。課外学習も中止。運動会も。
中学に入学してからは入学式も大半の催し物は全て中止。実に可哀想な学校生活を送っているのですが・・・修学旅行は実施されました。

学校側も張り切ったのでしょう。2泊3日の行程は・・・小学校で行けなかった
京都と大阪、そして広島に。旅行後に顔を見たので修学旅行はどうだったかね。と聞いてみたところ・・・原爆資料館が頭から離れない。一生忘れない。でも二度と行きたくない・・・と、目頭を赤くしました。感性豊かな子です。

因みにですが、その会話の最中、母親である娘は・・・私たちの時は広島には行かなかったと。そうか、75歳の私でも高校の修学旅行は広島。日本中の全ての生徒は原爆資料館には行くものだと思っていたのですが・・・行かない時期も
学校もあったのだとはじめて知りました。

あえて申し上げたい。
修学旅行でどこに行くかは、学校単位で決めるそうです。
地域によっては教育委員会が案を出すところもあります。
どこに行こうかは自由なようです。

文科省に申し上げるべきなのかも知れませんが。
広島の原爆資料館か長崎の原爆資料館にはこの国で育つ生徒・学生は
必ず見学、あるいは視察すべきではないか。修学旅行の行き先は教師が決めるとしたら、広島を外す教師に教育者の資格はないと思う。

少なくとも、日本国民である以上は・・・誰でも一度は原爆資料館を尋ねるべきであります。それも子供の頃に。それが平和憲法を持つこの国の国民の責務ではないでしょうか・・・

とりわけ、ロシアが核の脅しをちらつかせ、ウクライナの国土を力で
侵略しようとしているのです。戦争の恐ろしさ悲惨さと平和の尊さを子供たちに教えないで、何を教えるというのか。それも自由というなら、この国は国ではないですね。ぜひ、原爆資料館を視察することを義務化して欲しい。

孫娘の修学旅行のお土産は・・・広島名物・もみじ饅頭でした。
修学旅行生用割引だったと聞いて妙に味が身に沁みました。
ではサミットに参加した首脳たちのみやげはなんだったのでしょうか・・・
ゼレンスキー大統領は必勝の「しゃもじ」に違いない。Goto

コメント

  1. 藤掛庄市 より:

    私は高校の修学旅行で広島へ行き、それまでの経済学部進学、会社の社長志望から国際親善のための英語教育研究に進路が変わりました。級友たちは何も変わりませんでした。