ラハイナのために・・・

ハワイ王朝の首都時代・捕鯨基地時代・サトウキビ時代・観光時代・・

バイデン大統領も現地を視察しました。
「立て直すのをあきらめる気持ちはない。街は元どおりにはならないだろうが、
いまを生きる人たちが新しいラハイナをどうつくっていくか。その街の仲間として一緒に復興するという気持ちを大切にしていきたい」と語るのは・・
ラハイナにある三つの寺の一つ、浄土真宗本願寺派の僧侶・広中愛さん。

ハワイ諸島の一つ、マウイ島が大規模な山火事に襲われました。
何度か訪れたことのあるラハイナの街が一瞬にして廃墟と化しました。
火災から2週間、未だ全容がわかっていません。1万2千人の街で千人以上が
安否が不明とのこと、山火事の惨事では過去最悪、無事を祈りたい。

ラハイナは1810年以降、45年までハワイ王国の首都。
ラハイナはハワイ語で「苛烈な太陽」を意味するラーハイナー。
年中晴天が続き、ギラギラとした太陽が照り付ける乾燥した気候です。

ラハイナは捕鯨の基地。海岸沿いの街並みには鯨の骨で加工した民芸品を売る店が数軒あります。いやありました。1820年代、米国の捕鯨船がハワイ諸島に現れ、ラハイナを捕鯨の基地に。46年には400隻以上の船が、マッコウクジラの油を求めて集まっていたそうです。

1860年代にアメリカ本土で石油の採掘が始まるようになり、捕鯨産業は衰退。
ラハイナは港町に。その後産業はサトウキビ農場が中心に。その労働力として日本からの移民も。因みにでありますが、ハワイに日本人が初めて移民したのは明治元年(1868年)ハワイ王国がサトウキビ畑の労働力不足を補うため、日本に移民を求めたのが始まりで、事実上禁じられる1924年までに20万人がハワイに移りました。

ラハイナにも多くの1世が住むようになりました。
浄土真宗本願寺も1950年代以降、三つの寺院がマウイ島に建立されました。
先の広中さんもその一つの寺の僧侶です。

ラハイナは王朝時代・捕鯨時代・プランテーション時代・そして観光時代と
独特な雰囲気を醸し出す街です。日本的なモノがあるわけではないのですが、
なぜか、日本人の心を揺さぶる街です。だから、何度か訪ねました。

街は消滅したのです。懐古趣味に浸っている場合ではありません。
林外相は16日、総額200万ドルの被災者支援を行うと表明しました。
米国赤十字社を通じて安全な避難場所や食料の提供、被災者のサポートを進めるとも。マウイと友好関係にある国内の自治体も義援金を集める動きも出ています。

さて、マウイ島ファンでラハイナの街が大好きな・・私はどうすれば良いのか。
ハワイの友人と連絡を取っています。彼らが一番求めるものを、何とか知恵を出して継続的に届けねばと思っています。一過性の支援ではダメですので・・Goto

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