書を読むかどうかは、本屋で決まるのではない・・・
あなたは1ヶ月に何冊の本を読みますか。別段・本など読まなくても、生きているだけで儲け物、生活に困るわけではない・・という考え方もあります。また、本にも色々あります。読むに値しない本も山ほどあります。
また知りたいことはネットで検索すれば大概のことは教えてくれます。最近はChatGPTを使えば、文章も書いてくれます。今更、したり顔で・・本を何冊読みますか?などと聞く背景は親が子供に勉強せよというような押し付けがあるのではと思わぬわけでもない。傲慢ではと思う人もいるのでしょうねぇ。
経産省が、全国で減少する街の書店を支援すると正式に発表しました。
以前から自民党の議員有志が「本屋が無くなること」を危惧してなんとかならないかと検討してきた、そんな経緯が根底にあるようです。
経産省は大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を設置。地域文化の重要拠点としての書店に対する支援策を検討するそうです。大臣は「いち中小企業の問題ではない。日本人の教養を高める基盤が全国で激減している」と危機感を示すが・・・大臣直轄ってことは大臣の肝入り、政治家のパフォーマンスに思える。人気取りってことでしょうかねぇ。
部署横断のチームでは今後、出版関係者と意見交換や事業継承など書店を取り巻く課題を把握し、支援策を検討、書店の工夫や独自の取り組みを全国の書店と共有するほか、補助金の活用も模索していくそうです。
でもですよ。冷静に考えて見て下さい。全国の市町村のうち、地域に書店がない無書店自治体は30%以上にのぼる。無書店になるのは本が売れないからです。それを経産省の役人が売れるようにするなんてことができるはずがない。
やるとしたら、大型ショッピングモールに書店を設置せよと行政命令を出す以外にない。だって、街の商店街がシャッター通りになっているから書店が無くなるのです・・・そこででる赤字分を国が補填する・・そんなことできますか?
できるはずがない。でもことの本質はそこにはない。
「国力を支える文化の根幹には、地域の書店の存在がある。本を買った場合に補助が出るなど、お客さんが街の書店に足を運んでもらえる取り組みを国に期待したい」と訴える出版文化産業振興財団の圧力に政治家が踊っているだけである。だって考えて見て下さい。ではネットで購入した場合の支援はなしですか?
このプロジェクトチームには最初っから大義名分がないのです。
多分ですが、いちばん困っているのはプロジェクトチームの官僚ではないでしょうか。
そもそも論で恐縮ですが。日本人は果たして本を読まなくなったのでしょうか?昔から読む人は読むし、読まない人は読まないのです。本屋がなくなるから国を支える根幹が揺らいでいるなんて、有り得ない・・経産大臣がいかなる人かは存じませんが。裏金づくりに奔走するような政治家が、日本人の教養なんて語れるのか?
本を読むか読まないかは。自由である。環境を整えたから、本を読む人が増えるなどと考えるのはおかしい。本を読むことが自らの人格を琢くことだと思う人たちが増えない限り書店が増えることはないのである。書店支援に全く意味がないとは言わないが・・
便(すなわち)ち覚ゆ、面目・憎むべく言語・味なきを」
意味は、書は聖賢の書。理議は義理と同じで、理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則です。大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと本当の人間学的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって循環しないから、面相が下品になる。物を言っても言語が卑しくなったような気がする・・そんな意味。
さて、その大臣って、面相が良いのでしょうかねぇ?Goto
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