抒情的にコンビニを詠む

コンビニの創設者・鈴木敏文氏に敬意を表す

新聞って実に愉快です。歌人・山田航さんが、社会を写す現代短歌で
日本社会にすっかりと溶け込んでいるコンビニの変遷がいかに詠まれてきたかを分析し寄稿している。如何にも新聞ならではの楽しい企画ではないか。

コンビニ、1974年セブンーイレブン日本初となる本格的なフランチャイズとして東京豊洲に誕生。半世紀、今では日本全国に5万3千店舗。
国民生活に欠かせないインフラに育っている。

私の感覚ではまぁ・・数的には5万件がマックスかな。もう少し、過当競争が激しくなれば、淘汰され、絞り込まれるでしょうが・・・願わくば、採算重視で店舗を都市部に集中させないで欲しい。山間部の過疎地にもしっかりと根を張って頂きたい。

「八百屋は何処 どこ行った
ないけどあるその名はコンビニ」
どこの街角にもあった八百屋が消えた。どんな村にもあった雑貨店が消えた。
コンビニ、即ち利便性が50年の歳月を掛け、日本の零細小売店を凌駕した。

「抒情せよセブンーイレブン こんなにも
機能しているわたしのために」
コンビニが「抒情的な空間ではない」という認識があるからこそ、
こんなシニカルな歌が詠まれた。味わい深い。

「不器用な父が買い来しコンビニの
袋の中いちご大福」
「尿漏れの親父をコンビニトイレに送り込み
パンパース買う」
何でも揃うコンビニ。大衆化、世代を超え、平成的なものの象徴として
詠まれるようになった。3000点の生活商品が並ぶ・・流通革命だ。

2000年代に入って、コンビニで働く労働者を主題とする歌が現れだす。
「均質化された空間」や「非正規労働の舞台」としてコンビニを詠む例が増え
社会詠みの重要な題材となった。

「客さん」「いえ、渡辺です」「渡辺さん、お箸とスプーン付けますか」
「コンビニの周りに捨てられしおしぼりとレシート拾うのは誰」

そして近年になるとコンビニは社会インフラ。マルチコピーも金銭の出納もできる。コンビニは流通だけではなく、情報の集積地になった。さてそれはどう詠まれているか。

「持ってません、温めません付けません
要りません いえ泣いてません」

「銀行員横目で通るコンビニのATMで
順番を待つ人たち」

山田氏はいう。コンビニはインスタントな消費の場から、日常生活の核へと変遷し、「街の顔」となり街の風景となり、労働市場でもあり、高級志向にも耐えうる社会的な詠みものの対象に変わった。たかがコンビニ、されどコンビニといったところか。

「コンビニ立ち寄ると父がいい、私は甘党なのよと母がいう」
日本の流通を根底から覆したセブンーイレブンの創設者・・
鈴木敏文氏に敬意を表す。それにしてもコンビニ短歌を掲載する新聞って
実に面白い、楽しいですね。Goto

コメント