さらば!岐阜高島屋

例え、百貨店が撤退しようと、柳ヶ瀬商店街を再興してみせる・・

1977年、岐阜市内には岐阜近鉄百貨店(旧丸物)・新岐阜百貨店(名鉄系)
岐阜パルコ(旧山勝)・・・そこに高島屋が加わった。岐阜県の県庁所在地・岐阜市・人口42万人・その中心歓楽街・柳ヶ瀬の一角に4つ目の百貨店が誕生した。

一階フロアーは高島屋のシンボルである薔薇をモチーフにした多目的ホール「薔薇の広場」に。岐阜市民だけでなく近在からもワンサカと人が集まったモノです。その高島屋が今日7月31日、47年の幕を閉じる。
これで岐阜市内には百貨店が消滅した。

私には懐古趣味はないので、感慨はないが。閉店が近づくにつれ連日、高島屋に人が押し寄せ、とりわけ閉店セールが催された。7月に入ってからは、どこにこんなにも人がいるのかと驚くほどの盛況ぶり。閑古鳥が鳴いていた柳ヶ瀬が一瞬華やいだ。

人はあるものがなくなるとかくも惜しむモノかと驚くのだが・・・
何事にも薄目で斜に構えていると言われる偏屈な岐阜人に言わせれば・・・「惜しんでいるのではない「閉店セール」で全てのものが廉価で買えるから集まるだけだ」と皮肉まじりに嘲笑するのだが。

閉店前日の7月30日・・・高島屋は地元紙・岐阜新聞と中日新聞に全ページ広告を打った(写真参照)・・・「この街と皆様と共に、47年間歩んでこられたこと、心より感謝申し上げます」・・・高島屋を中心に街の全景をバックにした紙面に感謝の意を示すコピーが書かれた営業終了の広告です。

私は広告を生業としています。
歴史的な瞬間を切り取った新聞広告をいっぱい見てきました。
しかし、これほど愛着も湧かねば、惜別の悲しみもないコピーと紙面は見たことがない。紙面にはかろうじて、高島屋の屋上で手を振る社員の姿が映っていますが・・・・彼らの再就職先はどうなっているのだろうか・・そんな心配が募ります。

因みにでありますが、岐阜高島屋は独立した法人で、全国の高島屋とは経営が別であります。高島屋の撤退の噂は、昨日今日の話ではありません。もう10年ほど前から囁かれていました。岐阜に百貨店の灯を消してはならぬと、岐阜県も岐阜市も行政として、高島屋の本店に日参し、継続を懇願しながら、できる範囲ギリギリの支援をしてきた。

その行政の努力を知るものとしては・・・岐阜駅から快速で18分の名古屋駅にJR高島屋がある。百貨店で買い物をする岐阜の人たちは、品揃えも豊富な名古屋の高島屋に商品を求める。岐阜高島屋で買う必要がない。企業の論理からすれば、撤退は折り込み済みです。時代の趨勢です。致し方ないことです。

私は思うのであります。
ローカルの中心市街地は、街の衰退の象徴のように、どこもシャッター通りです。柳ヶ瀬も高島屋に依存してなんとか街の体裁を保ってきました。その高島屋は今日で消滅したのです。

高島屋はなくなった。だったらどうする。
まずは当事者たちが考えねばなりません。

我が社では・・・地域みっちゃく生活情報誌「GiFUTO」(岐阜市とその周辺エリア・17万部全戸配布)で、「柳ヶ瀬は楽しい」をテーマに特集を組んで、商店街の人たちと一緒に柳ヶ瀬・再興への舵を切りました。(写真参照)

たとえ百貨店が消滅しようが、ここで生きて・ここで暮らす人たちにとって、
不可欠な商店街・歓楽街を作り上げて見せます。それこそ我が社が情報誌を発行する使命だと思っているから・・・・Goto

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