兵庫知事選挙

斎藤元彦氏の勝因はSNSの拡散だけではない。権力者の自爆である。

注目の兵庫県知事選挙・告発文章問題で「暴君だと批判され」
県議会から不信任を突き付けられ、マスコミの袋叩きにあって、
知事を失職した斎藤元彦氏が再選・勝利した。

まずは、斎藤氏の当選を祝福したい。おめでとうございます。
敢えて申しましょう。このブログにも書いてきたが・・
この事件・当初から妙に違和感があったのでそれなりにウォッチしてきた。

今・私が申し上げたいのは・・・人は命懸けの闘いをすれば、
変わるということだ。選挙期間中に47歳の誕生日を迎えた彼は
選挙の洗礼を受け、明らかに変化した。

この問題の本質は43歳で知事になり、選挙公約を旗印に自らの政策を
実現する、その手法が「権力を傘にきた傲慢さ」にあった。奢りだね。
それが間違いだと気付いた。いや、善意の県民によって学んだ。

人は政治権力を握ると二つのタイプに分かれる。一つは斎藤氏のように己の力を過信して暴走するタイプ。もう一つは「実ほど首を垂れる稲穂かな」で人の話を謙虚に聞きながら信念を持って政策を推し進めるタイプである。

彼はこの選挙を通して、前者のタイプのリーダーだったが後者に変質した。
と私は見ている。だから逆境から勝利を掴んだのだと思う。

今後も彼を追い落とそうとした輩・既得権益者たちから様々な嫌がらせや
妨害を受けるだろう。でも兵庫県民は彼を選んだのだ、民意を得たのである。
事件発覚から8ヶ月・この苦しい経験を糧に奢ることなくキラキラと輝く兵庫県を築いて欲しいと願いエールを贈りたい。

新聞・テレビは今朝から一斉に選挙分析をするだろう。
政治はSNSの時代に入った。東京都知事選の石丸現象に始まり、
先の衆院選の国民民主党も米国大統領選もそうだが、
ネットが政治を動かす時代に変わったというだろう。それを否定はしないが。

その前にやらねばならぬことがあるはずだ。
自死した元県民局長が発信した告発文章の検証である。
メディアが意識的に避けてきた。メディアの責任において
その理由を解明せねばならない。そこを隠蔽したまま、
ネット現象論にすり替えてはならない。

選挙戦の後半・NHK党の立花孝志代表が、ポピリズム的に訴え、
多くの県民が気付いたのは、この国の権力者たちが自らの既得権益を
奪われそうになると、なんでも利用して、県民を欺く、騙すのだと
いうことを知ってしまったからである。その真実を解明しない限り、
間違ったネット現象分析になってしまう。

それこそがマスメディアの役割ではないか。
ご都合主義でプライバシー保護を盾に拒むことは、
ことの本質を見えなくすることにつながる。

それと、もう一つ言わねばならない。
既得権益もない。庶民の側に立つべきはずのリベラル派の敗北についてである。稲村氏の敗北の弁。「何を相手に誰を相手に戦ってきたのか、敵が見えなくなった」という。そうなのです。稲村陣営の本質は「大勢の側・権力の側」にあるってことだ。庶民・県民はそのことを見抜いてしまったのです。もちろん、ネットというメディアの力によってだが。
そのことに気づかねばリベラル派に未来はない。

米国が「トリプルレッド」になぜなったのか。ブルーインテリ層・つまりリベラル派の欺瞞が大衆・国民によって見抜かれたからだ。古い体質の政治家が利権を守る。所詮はリベラル派も同じ穴の狢であるってことが明らかになったのだ。
稲村陣営は期せずしてメッキが剥がれた。
それもこの選挙の重要なポイントだと思う。

ネット政治の時代が来た。公職選挙法の改正も議論になるだろう。
しかし、どうあるべきかを問われているのは、メディアではない。
実は国民なのではないかと思う、そんな兵庫県知事選挙の結果だ。Goto

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