ふてほど

不適切で何が悪いと開き直っているのですが・・・

もうやめた方がいいのではないかと思うのは「現代用語の基礎知識選・
2024ユーキャン新語・流行語大賞」です。だって、ノミネートされた意味を
知らない、理解できない国民が大半なのですから。
えっ、分からないのはオマエだけだですって?

今や清水寺の管長が豪快に書き上げる「今年の一文字」と並んで
年末の風物詩なのだから、自分が知らない言葉が多いといって
「やめろ」と言うのはおかしい。オータニさんの「50ー50」を知らない国民はいない。それに特に今年の大賞は最高だ、そうです。

でも「ふてほど」と聞いて、あれか。と理解した人は何人いただろうか。
阿部サダヲさん演じるTBS系のドラマ「不適切にもほどがある」は
昭和の典型「おっさん」である私もビデオで見た。実に愉快だった。

臨時国会、石破首相の所信表明演説に対する各党の代表質問で
首相が政治資金規制法の再改正を巡る立憲民主党などが禁止を
主張する「企業・団体献金」について「自民党は不適切だと考えていない」と
堂々と答弁する姿とダブって面白い。

私は企業・団体献金の禁止に反対だ。
現行の政治改革法案を厳格にすれば良い。それで十分規制していると思う。
政治家とカネの問題・「政治は権力を利用して金儲け」するのが常識だ。
そう考えているのはオールドメディアの洗脳によるのではないか。

日本には、「寄附」の文化がない。ボランティアの文化もなかった。
最近、これだけ自然災害が大きく報じられるようになって、ボランティア活動は国民に浸透してきたが、寄附の文化はまだ育っていない。

でも寄付とは意味合いが少し違うのだが「ふるさと納税」の浸透は寄附文化を育てるに貢献しているのではないかと思う。次は国民が納得できる「事項」には寄附すると言う「クラウド・ファンディング」の思想が普及しても良いのではないか。税制の優遇をすれば一気に文化として育つだろう。

話を戻すが。大賞に選ばれた「ふてほど」・ドラマ「不適切にもほどがある」だが、昭和まで辛うじて残っていた「日本人らしさ」が平成・令和の時代になって急激に失われていく様を「不適切」と言うことに抵抗がある世代に響いての大賞受賞だと思う。(ややこしい言い回しだが)

その際たるものが「働き方改革」なる「労働は悪」と言うポピュリズムの台頭ではないだろうか。「人間は働くから人間である」私の持論である。働く時間を短縮せよ。働いたらもっとカネをよこせ。それこそ「不適切」ではないか。
「働かざるもの食うべからず」ではないのか。

コンプライアンスが重視される令和の価値観って、本当に人権尊重なんだろうか?いつの間にか。それが正義のようになっているが「不適切」だと思う昭和のおっさんとしては実に「生きづらい」世の中である。

でです・・・今年の流行語大賞だが「ふてほど」などと言葉を縮めないで「不適切にもほどがある」とドラマのタイトルのままで良いのではないか。でなければ「不適切で何がわるい」と単刀直入にした方が良い。
初老ジャパンと言うより「高齢ジャパン」の一員としては。Goto

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