抹茶スイーツ花盛り・・

日本人は抹茶の楽しみ方と奥行きを知らねばならない。

えぇ・・陽気ですねぇ。薫風・爽やか・5月は一年で最高の季節です。
年を重ねたからかなぁ。3月末の桜から、野辺に咲く草花たちが
目に付いて仕方がない。改めて樹木の新芽・青葉に目を奪われます。
「目に青葉 山ホトトギス 初鰹」日本って、本当に綺麗な国ですねぇ。

学生時代の友人(静岡出身)が今年も新茶を贈ってくれました。
18で知り合ったのですから、60年近い付き合いになります。
秋に私が富有柿を。この季節に彼が新茶を。30年以上は会ってないのですが。
青春の1ページを大切にできる友人に深謝です。

お茶の話です。
お茶には「煎茶」と「てん茶」あります。5月1日は八十八夜、
茜だすきにかすりの着物・姉さんかぶり・・・茶摘みの季節です。
茶摘みも産地に言わせると、最近はそのイメージじゃないようです。
栽培の多くが日光を遮る必要がある抹茶の原料「てん茶」が増えたから。

因みに「てん茶」とは揉まずに乾燥させたお茶。茶葉を蒸した後、揉まずに乾燥し、茎や葉脈を除いて、細片が「てん茶」です。玉露と同じように茶園を覆い「被覆栽培」で育てます。石臼(粉砕機)で挽きます。抹茶です。青海苔のような独特の風味があり茶道のお点前に使われます。

名称の「てん」は漢字で「碾」と書き、挽く行為を表して、
粉砕するためのお茶であることを意味します。

てん茶の生産量・08年1452トン。23年には11産地で4173トンと3倍に。
原因は「Matchaブーム」です。産地の宇治では駅前の商店街に抹茶のアイスクリームやパフェ・チョコレートなどのスイーツ店が並びます。お茶は飲むから食べるに変わりました。今では大手菓子メーカーやコンビニでも定番商品です。
緑茶ブームは海外にも及び輸出額も24年には364億円。過去最高更新中。

そもそもですが。茶が日本に伝わったのは平安時代。唐から帰った留学僧が持ち帰ったのが始まり。鎌倉時代には栄西が宗から茶の種を持ち帰り京都で茶園を開いた。宇治茶です。聖一国師は種を静岡に持ち帰り、静岡茶の基礎に。

室町時代に入ると茶師は足利幕府の庇護を。安土桃山時代に茶畑に覆いを被せる「てん茶」の「覆い下栽培」の原型が確立された・江戸時代には将軍に新茶を献上する「お茶壷道中」行われるなど、お茶は日本人にとっては由緒正しき飲み物として培われた文化です。

でです。宇治の老舗・お茶の製造・卸の店主(6代目)に言わせれば、
このMatchaブームに、初代から伝わる話として「昭和30年ごろ抹茶ブームが到来した。しかしコーヒーや紅茶の普及で40年代には「お茶余り」に陥った。
その時の生き残り策は「手間暇かけた美味しい抹茶を作り続ける」ことだと。

いかにも京都・宇治じゃないですか。
一時のブームに乗るのも良し。しかし、平安から続く日本独特のお茶文化です。
誠実な商いをしてきたから、何代も続くことができているのだと、教わるそんなMatchaブームです。

私は抹茶のスイーツ、いやではありませんが、やはり、裏千家でのお点前が
なんとも威厳があり良いですねぇ。もちろん、親父殿が大切にしていた茶器で頂く新茶も良い。そう言えば、亡母が毎朝、出勤前に抹茶を立ててくれたのが懐かしい。Goto

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