命懸けのハンターと机上の空論・・・
今週は夏シリーズで書きます。
この夏、北海道・羅臼で観光客が熊に襲われ、命を落とす痛ましい事件が起こった。東北では連日のように、熊が民家に押し入り、街中を闊歩し、人々を襲う。
大自然の猛威よりも怖い、日常を侵食する鳥獣被害である。
人口が減り、里山が荒れ、境界が失われる・・・それはつまり「人間の暮らしのほうが山に押し返されている」ということだろう。
熊をどうするか。駆除すべきか、捕獲して山に返すべきか。議論は尽きない。
秋田県知事は「そんなに熊が可愛いなら、あなたの庭に届けてやろうか」と言い放った。痛快である。私は人間の暮らしを脅かすものは許されないと思う。
なぜなら、実際に熊に怯えて暮らす友人の声を知っているからだ。
遠くの都会で安全を担保されたまま「共存」を説くのはいささか虫が良すぎる。
動物愛護の看板を掲げながら、己の生活には一滴のリスクも背負わない。
そういう輩の愛護論は、夏の蚊よりも耳障りだ。
9月から鳥獣保護管理法が改正され、市町村長の判断で猟銃による捕獲が可能になる。夜間や建物に向けた発砲も条件付きで認められるようになった。ようやく現実を直視した一歩である。だが、思い出されるのは18年の砂川市の事件でだ。ヒグマを仕留めた猟友会員が「建物方向に発砲した」として銃の所持許可を取り消され、裁判で争っている。命懸けで熊を駆除した人間を、法が守らない。
ーーこの国の鈍さに呆れるばかりだ。
今回の改正は市町村に責任を明確にしたが、猟友会側は「依頼を断る権利」も求めている。当然である。熊と対峙するのは裁判官でも政治家でも役人でもない。
現場のハンターなのだから。机上の理想論では熊は退治できない。
この構図って、どこか憲法9条の議論に似てないか。
熊のいない地域の人々が「殺すな」と唱えるのは、他国が攻めてきても「戦ってはならない」と言い張る姿に重なる。どちらも安全圏から叫ぶ理想論である。
熊に襲われる住民にとっては、そんな議論は笑えない。いや、むしろ笑うしかないのかもしれない。
夏の終わり。熊は日本人に戦争と平和を問いかけている。私はそう思えてならぬ。私たちは本当に身を守る覚悟があるのか。それとも、のんびりスイカを食べながら、「平和がいちばん」と唱えるだけなのか?呑気さは夏の風物詩として微笑ましいが、熊に出会ったときには命取りになる。
この夏の暑さと同じく、熊の影もまた、私たちの背中にまとわりついている。
秋風が吹き始める今こそ、自然との距離、平和への覚悟を、もう一度考え直すべきではないか?などと、抒情的に思う夏の終わりです。Goto
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