始めるに遅すぎることはない・・音楽を友とするか・・・
今更申し上げるまでもないが、私は天性の音痴である。
音痴は運転が下手である。リズム感がないからである。その通り。
弁解すると、正確に「そうらしい」ときづいたのは、小学校の高学年の頃だ。
親父殿の鼻歌聞いたとき、見事に調子が外れで「ああ、僕が歌うとみなが笑うのは遺伝か」と得心した。それ以来、歌は避けて通り、カラオケにも近付かない。
ところが、今年の夏、そんな私の心を揺さぶる出来事があった。
それは、家人が見て言いたいテレビ「さだまさし」さんの長崎・稲佐山コンサート・終戦からちょうど80年という節目。原爆の地に立ち、彼は「もう長くはできない。19回を数えたが25年が最後になるかもしれない」と語った。
絞り出すように歌う「精霊流し」や「風に立つライオン」に、音痴の私でさえ胸が震えた。音楽はすごい。喜寿を前に今更ながら「人生で音楽を友としなかったことずいぶん損をしたなぁ」と苦笑せずにはいられない。
さらに加藤登紀子さんの姿も胸に刻まれた。75歳以降を「人生の第四幕」と位置付け、81歳の今も「平和のバトンを忘れまい」と歌い続ける。分断を超えることを願い「いちばん大変な人に届けたい」と半世紀以上歌ってきた彼女の覚悟に、言葉を失った。
思えば、この2025年の夏は、ただ暑かっただけではない。終戦80年という重みの中で、同世代の歌手たちが人生と平和を託して歌い続ける姿を目にした。
音痴ゆえに遠ざけてきた音楽が、これほど心に沁みることは。歌えなくても聴くことはできる。いや、聴くだけで人はここまで動かされるのだ。
夏の終わり、私はふと思う。「この歳になって音楽に触れようか」「始めることに遅すぎることはない」というではないか。場違いな気もして、ついまた苦笑い。でも今年の夏にであった音楽の祈りと力は、確かに私の心に刻まれた。
忘れがたい夏となった気がする。書いてて、かなり照れ臭いが・・Goto
コメント