裸の王様・居座る執念・泣き笑いの読売新聞誤報・・・
自民党・参院選後・2回目の両院総会を開き、参院選の総括をまとめた。
九つの骨子を掲げたが、正直なところ、私の胸には一つも響かない。
「発言力の弱さやデジタル対応の遅れ」を上げているが。
昨年の衆院選大敗時にも同じことを。思い付きで場当たり的な項目しか出せず、国民に未来像を示せなかったことこそが敗因である。それを「閉塞感」と表現するのは、政権政党が自ら「ビジョンを持てません」と白状しているようなものだ。
総会後。四役は辞表を提出したという。しかし、当の幹事長は会見で「辞任はしたが判断は任命権者に委ねる」と口にした。理解不能な言葉だ。辞表は出したが首相に引き止められれば続けるかもしれないという含み。そんな腰の座らない態度に、国民は誰も納得できないだろう。
当の石破首相は私の責任を連呼しながら「解党的出直しを」と声高に叫びつつ、居座る気は満々である。役員が総辞職すれば、政権を支える手足はもがれ、裸の王様同然になる。それでもなお「内閣支持率が上がっているから続投する」と言い張る姿には哀れさすら漂う。夢にまで見た総理・総裁の椅子を、1年も満たないのに、簡単には手放せないという人間的執着が透けて見える。見苦しい。
一方で読売新聞は7月の参院選敗北を受けて22日「石破首相退陣」の号外を打った。首相本人が「辞める。責任を取る」と周辺に語った言葉を取材しての報道だったという。しかし、結局は辞めなかった。辞める。辞めると言いながら続ける。その姿は「辞める詐欺」と揶揄されても仕方あるまい。
読売は今回の総会後「本紙は常に正確に把握していたが、結果として誤報になった」と新聞社として謝罪した。新聞にとって正確性は命。辞めないのだから、誤報だ。謝罪は当然だが、事の根源は「言葉を軽んじる首相」にあるのではないか。新聞社もたまったものではない。泣き笑いだ。
石破首相って、親から「嘘は泥棒の始まり」と教えられなかったのだろうか?(親も政治家だったから・・教えられなかったかも)辞めると言明して辞めない。責任を取ると言って責任を取らない。その繰り返しは、政治不信を招く。政治家以前に一人の人間として信頼を失う。
国民が求めているのは、強がりでも言い逃れでもない。誠実さと覚悟だ。
石破首相が居直りを続けている限り、この国の政治に新しい希望は見えてこないだろう。Goto
コメント