人命は国家よりも重い
今日は、十二月八日。太平洋戦争開戦の日である。この日になると、私は決まって思う。国家とは何か。軍事とは戦争とは何か。そして、人の命とは何か――と。八十年を超える歳月が流れた今も、この問いは少しも色あせない。
私の故郷、岐阜県、大垣市が生んだ偉人に、陸軍中将・樋口季一郎という人物がいる。ナチスの迫害から逃れてきた二万人を超えるユダヤ難民を、国家の命令に背いてまで救った人物である。「軍人である前に人間であれ」。まさに、この言葉を生き切った軍人であった。
敬愛する友人が言った。「杉原千畝を顕彰するなら、樋口季一郎もだろう」。その一言を受け、大垣の石田仁市長は、即座に動かれた。樋口中将の孫であり、明治大学教授の樋口隆一先生を招き、顕彰会はたちまち実現したという。
私は不覚にも存じ上げず参加できなかったが、その行動力と決断力に、ただただ頭が下がる。後日、市長が友人に送られた「敬意を表します」との一通のメールに、私は深い感動を覚えた。
国家のために武器を取る時代にあって、国家よりも人命を選んだ男が、我が郷土・大垣から生まれた。この事実は、私にとって誇りであると同時に、重い問い掛けでもある。戦争とは、正義を掲げながら、最も弱い者から命を奪っていく装置である。理屈よりも、思想よりも、何よりも先に守るべきものが「人の命」であることを、樋口季一郎中将は自らの行動で示した。
私は、これまで一貫して人道主義と反戦平和を信念としてきた。遠く中東や欧州ではない。日本の周辺でもキナ臭い臭いがする昨今。
戦争を知る世代が急速に少なくなる今だからこそ、数字や戦果ではなく、一人ひとりの人間の痛みと尊厳に目を向けねばならない。
樋口季一郎の行動は、決して過去の美談ではない。現代に生きる私たち一人ひとりに向けた、厳しくも温かな「問い」なのである。
十二月八日。私は静かに祈る。
国の論理が人を押し潰す時代が二度と来ぬように。そして、人は国家よりも重い――その当たり前の真理を、次の世代へ手渡していける社会であり続けたいと。Goto


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