ゴルフよ!ありがとう。

 

私の唯一の趣味はゴルフである。

この一年も、週末や祝日にはせっせとゴルフ場に通い、気の置けない仲間たちと、あるいはゴルフが結んでくれたご縁の方々と、ありがたくグリーンに立たせてもらった。思えば私の人生、重要な決断の多くはゴルフ場で雑談のように決まり、失敗の反省も大半がフェァウェでなされてきた。(早朝ウォーキングに次いで会議室かも)

ところが今年、神様は少し意地悪だった。猛暑のさなか、足裏を痛め、二か月近くクラブを握れなくなった。ゴルフのために続けてきたラジオ体操も、仲間に負けたくないという不純な動機に支えられた早朝ウォーキングも中断。するとどうだ。

体調がみるみる落ちた。いや、正確に言えば老化が「待ってました」とばかりに前面に出てきた。「歳には勝てぬ」とは聞いていたが、こんなに律儀に押し寄せてくるとは思わなかった。神もなかなか容赦がない。

ゴルフに使っていた時間、とくに土日の楽しみは、テレビ観戦へと姿を変えた。国内外のプロの試合を、じっくり腰を据えて眺める。不思議なもので、一流選手のスーパーショットを見るたびに、「あれ? 俺にもできるんじゃないか」と、すぐに錯覚する。学生時代、高倉健や鶴田浩二の任侠映画を見て、「俺も義を通して生きる男だ」と勘違いした、あの黒歴史とまったく同じ心理である。人は歳を取っても、妄想力だけは衰えぬらしい。

足が癒え、久々にグリーンへ復帰した。結果? 聞かぬが花である。スコアは無残、その後も一向に回復しない。理想と現実の落差は、年齢とともに深く、険しくなる。同時に私は悟った。

「何事も怠れば、その瞬間に、これまで積み上げたものなど一瞬で崩れる」

これはゴルフの真理であり、同時に人生の真理でもある。
日々の修養を怠った者に、神は微笑まぬ。やれやれ、である。

それでも今年一年、プロゴルフは大いに楽しませてくれた。

女子最終戦、宮崎CCでは鈴木愛選手が岩井千怜プロとのプレーオフを制した。私は彼女のファンである。あのパターはまさに芸術品だ。私も翌日、そっくり真似をしたが、結果は凡庸そのもの。「パターに型なし」と申すが、型がなくても入らぬものは入らぬ。五十年以上やってなおこの有様。ゴルフは人に容赦なく「才能の限界」を突きつける、実に哲学的な競技である。とはいえ、日本女子プロの海外での活躍は本当に頼もしい。こちらは素直に誇らしい。

男子はスター不在と言われつつも、最終戦・日本シリーズJTカップでは若い有望株が優勝し、賞金王争いも見応えがあった。私は思う。本物のプロなら日本に収まるな。松山英樹プロを追い、PGAの荒海に漕ぎ出せ。天狗になるのは国内だけで十分だ。大志なきところに進歩なし、である。

その松山英樹プロ。今年は年初のハワイ、カパルアのThe Sentryでいきなり優勝し、日本中のゴルファーを熱狂させた。そして年末、タイガー・ウッズ主催のHero World Challengeでも優勝。私はその瞬間を、我がことのように拍手しながら見ていた。(ラジオ体操をサボった)

本人にはメジャー未勝利の物足りなさが残った一年かもしれない。だが「終わり良ければすべてよし」とは、よく言ったものだ。年末の仕事も、最後まで気を抜くなと教えられた気がした。

さて、私のゴルフである。

年内、残り三回。早朝ウォーキングでの素振り、退屈極まりないパター練習を黙々と繰り返し、納得の締め括りをしたい。勝てば天狗、負ければ修行。どちらに転んでも人間修養である。

思えばゴルフとは、欲と慢心と未練と諦観が、18ホールにきれいに配置された哲学の道場だ。うまくいけば慢心し、失敗すれば言い訳を探す。そこにこそ人間の本性がある。だから私は、ゴルフから離れられないのだろう。

唯一の趣味として、ストレスを発散させ、気力を与え、そして幾度となく自分の未熟さを教えてくれたゴルフ。勝っても負けても、老いても、恥をかいても、黙って付き合ってくれるこの相棒に、今年も心から言いたい。

ゴルフよ。ありがとう。
来年もまた、私を打ちのめし、そして少しだけ成長させてほしい。Goto

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