そんなこと

臨時国会も終盤ーーー高市政権は“律令国家”を打ち破れるか

臨時国会も終盤を迎えた。国会は17日に閉会する。高市首相にとっては、まさに政権の力量を国民に示す“デビュー国会”であった。その評価は分かれるが、私はこの国会を「期待と危うさが同時に露わになった国会」と総括したい。

最大の波紋は、台湾海峡有事を巡る答弁である。立憲民主党・岡田克也氏の質問に対し、歴代政権が巧みに曖昧にしてきた領域を一歩踏み越え、緊急事態としての対応、台湾への関与を示唆する答弁を行った。

国内では「岡田に言わされた」「質問する側が悪い」」「単なる失言だ」と軽く論じる向きもあったが、外交は国内政治の論理では動かない。中国は貿易、観光、さらには国連安保理入りを材料に圧力を強化し、決して鎮静化していない。

それにもかかわらず、日本側の対応は局長級の派遣にとどまった。本来なら外務大臣、なお治まらねば首相自らが訪中し、発した言葉の「始末」をつけるべき局面であろう。発言とは、それほどに重い。初の女性宰相誕生の高揚感に、緊張感が緩んではならない。

さらに党首討論では、立憲・野田代表の政治資金規制の追及に対し、「そんなことより定数削減が先」と返した一言が波紋を広げた。そこへ追い打ちをかけたのが赤旗のスクープである。片山財務大臣が12月1日に政治資金パーティを開催し、金融機関関係者を招待、後に返金していた事実が明らかになった。
片山大臣には金にまつわる問題が尽きぬ。清廉さなんて元々ないから良いが。

大臣規範には「国民の疑惑を招きかねない大規模なものは自粛」と明記されている。利害利益相反は否定しようがなく、完全にアウトである。高市首相はこれを「そんなこと」で済ませるつもりなのか。

一方で、政府は歳出削減の切り札として、政府支出効率化組織、いわゆる「日本版DOGE」を立ち上げた。米国では実業家イーロン・マスクがチェーンソー片手に歳出を“滅多切り”にした象徴的政策である。その重責を片山財務大臣に担わせるが、果たして疑惑を抱えたまま、聖域なき改革ができるのか。

ここで改めて問わねばならないのが、この国の統治構造である。日本はいまだに律令国家の流れを色濃く引き継ぐ国家だ。表の主役は政治家だが、実質的に国家運営を牛耳っているのは、霞が関の中央官僚機構である。

予算も制度も人事も、最終的には官僚の描いたシナリオの上で動く。この「見えない天井」を打ち破れるかどうか――そこにこそ、高市政権の真価が問われている。

現実の国民生活はどうか。賃金は思うように上がらず、物価高は収まらない。電気、ガス、食料品、あらゆる生活必需品が値上がりし、庶民はインフレに喘いでいる。

参院選で約束した一律2万円給付は反故にされ、代替策は米の無料券という思いつき政策。ガソリン税廃止や178万円への接近には前向きだが、財源については明確な答えはない。この物価高を本気で解消できなければ、次の総選挙で政権は極めて厳しい審判を受けるだろう。

日本のマスメディアは、なぜか高市政権に甘い。しかし、女性宰相であることを百歩譲っても、甘すぎはしないか。国民は節穴ではない。

この臨時国会の本当の評価は、年末に示される来年度予算に表れる。そしてその予算の背後に、官僚主導の「律令国家」からの脱却があるのかどうかが問われる。

今こそ高市政権は、この国の統治構造そのものにメスを入れる覚悟を示さねばならない。期待外れにならぬと良いが。私が慌て過ぎだろうか。Goto

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