バレンタインデー

「抱っこの宿題」と言う話に触れて。

喜寿の爺さんには、とんと縁遠い行事である。若い頃の胸の高鳴りも、今や昔。とはいえ、この日をただ商魂たくましい菓子業界のイベントとして片づけるのは、いささか味気ない。

そもそもの由来は、三世紀の古代ローマに遡る。聖バレンティノは、結婚を禁じた皇帝クラウディウス2世に背き、若者たちの結婚式を執り行った。愛する人を想う気持ちを守ろうとして命を落とし、その日が二月十四日。愛を確かめ合う日となった。

欧米では親子や友人がカードを交わすという。ところが日本では、1958年、製菓会社と百貨店が「チョコレートを贈ろう」と仕掛け、七〇年代には意中の男性へ贈る風習が定着した。義理チョコ、友チョコ、マイチョコ。いかにも日本的な商才と遊び心である。

今年はカカオ不作でチョコが高額に。でも飛ぶように売れているとか。どこが物価高か、と苦笑も出る。ポリフェノールが健康に良いと理屈を添えるあたりも、また愛嬌だ。

だが、私が心を奪われたのは別の話だ。
小学校一年生の宿題。「今日はおうちの人から抱っこしてもらってきてね」。

なんと温かい宿題か。子どもたちは家族にねだり、思い思いに抱きしめられたという。中には家庭の事情で叶わぬ子もいた。だが、その子を先生がそっと抱きしめた。なんという教育だろう。素晴らしい教師だ。

もし聖バレンティノがこの話を聞いたなら、チョコレートのプレゼントよりも、この「抱っこ」に深くうなずくのではないか。愛とは形ではない。体温であり、鼓動であり、ぬくもりだ。

わが社は、児童虐待をなくしたいと願い、情報誌を通して「虐待かもと思ったら189番へ」と呼びかけている。だが、虐待の根にあるものは何か。私は思う。スキンシップの欠如ではないかと。

もちろん原因は単純ではない。経済的困窮、孤立、心の余裕の喪失。しかし、抱きしめるという行為は、言葉を超えた「あなたは大切だ」という愛の宣言である。

件の先生は、子どもとの触れあいに悩み、やがて退職されたという。こんな先生にこそ、チョコレートを贈りたい。甘い菓子より、深い敬意を込めて。

バレンタインデー。
チョコが売れなくなるかもしれないが、もしこの日が「家族で抱っこする日」になったらどうだろう。父も母も、祖父母も、子どもをぎゅっと抱きしめる。照れながらでもいい。

喜寿の爺さんは思う。
人は皆、寂しがり屋だ。だからこそ、愛を形にする日が必要なのだ。チョコレートもいい。

だが今年はもう一つ。「抱っこの宿題」を、日本中の家庭へ。そんな願いを込めて、二月十四日の朝を迎えた。Goto

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