無駄について考える。

人生一度限り、大切に生きたいモノだ。

子どもの日・朝からごろ寝、ダラダラと日長を過ごす――そんな贅沢も否定はせぬが、やはり私は性に合わない。休みであれ仕事であれ、人生は一度きり。死ねばいくらでも眠れる。ならば、今という時間をどう使うかが、そのまま生き様になる。

そこで今日は「無駄」について考えてみたい。
私の中では、無駄は三つに分けられる。

第一は、資源の無駄である。ホルムズ海峡の緊張が続く中、本来ならば国を挙げて節約と倹約を徹底すべき局面だ。にもかかわらず、ガソリン補助金による価格抑制――

これは「これまで通り使ってよい」という誤ったメッセージにも映る。石油に限らず、資源は有限だ。今までの使い方が直ちに悪だとは言わぬが、意識の欠如は罪に近い。緊張感なき消費こそ、最大の無駄である。

第二は、時間の無駄だ。人生とは、結局のところ「持ち時間」である。ある調査では、正社員の74%が「無意味な仕事をしている」と感じているという。

裏を返せば、適当に時間を過ごしても給料が発生する構造があるということだ。大企業にはそれを許容する余力があるのだろう。しかし我々中小の現場では、無駄は即、死活問題である。

無駄な仕事は削る。不要な会議はやめる。それが生き残りの条件だ。時間の無駄は、すなわち人生の浪費に他ならない。

そして第三が、心の無駄である。これが最も厄介だ。人は悩み、考える存在だと言えば聞こえはよい。しかし「下手な考え休むに似たり」という言葉の通り、出口のない思考はただ心を消耗させるだけだ。

思い悩み、立ち止まり、結局何も変わらない――それは美徳ではない。私は、シンプルに生きることを良しとする。やるか、やらぬか。前に進むか、捨てるか。心の無駄を削ぎ落としたとき、人はようやく軽やかに動ける。

資源、時間、心。この三つの無駄をどう扱うかで、人の質も、企業の質も決まるのではないか。

5連休4日目。少しばかりの羨望と、ほんの少しの僻みを胸に抱きつつも、やはり結論は同じだ。甘えてはならぬ。人生は一度きりだ。だからこそ、ピリッと生きる。子どもの頃からそう生きればと多少の後悔の念を抱きながら、鯉のぼりを見上げる(少なくなったなぁ)

さて、今日は何を削り、何に時間を使うか。すべては自分次第である。Goto

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