頭を下げる

ごらんの通りの人生を。
九か月になった孫娘。久しぶりに顔を見た。久しぶりといっても半月ほどだが。
子供の成長は早いと言うが、わずか数歩だが、「もう」歩く。驚きです。
「お座りができた。ハイハイができた。立ちあがるようになり。伝い歩きが。あ〜歩いた。歩いた」
「這えば立て。立てば歩めの親心」、家内中が一挙手一投足に大騒ぎです。
家族の大きな愛に囲まれ「幸せに育って」と願うのと、長い人生。そんなに慌てて、立たなくても。歩かなくてもと、妙に分別臭いジージは、孫娘の成長を目じりを下げて眺めている。
すっかりお母さんになった娘が「ももちゃん。いただきますは?」と離乳食を前に。すると孫娘。頭を何度も下げる。娘が「そうですね。ご飯を食べるときには、ありがとうのいただきます。ですね」と食事を始める。
そう言えば、私の人生も失敗の連続。「お詫び」で頭を下げてばかりだと。苦笑。格好付けても、見栄を張っても、人生ごらんの通り。間違えれば。教えを受ければ。物を頂けば。素直に頭を下げるしかない。
勝負の世界でも、日本の古式に則る相撲などは、土俵に上がっると、まず、頭を下げる。そして、にじりで蹲踞(そんきょ・座っての意)し、両手を大きく広げ「なにも持ってませんよ」と対戦相手に自分を曝け出し、勝負が決まれば、また、頭を下げ、終わる。
頭を下げるとは、相手から目を下に逸らすこと。その瞬間、相手に何をされても結構です。と、無防備になることです。ですから、そこには、その場面での、相手に対する畏敬だとか、詫びだとか、感謝の念が入るのです。それが、頭を下げることです。
で、私が何とも不可解に思う頭の下げ方は、音楽で、若くして破格の富を得、詐欺事件で逮捕された小室何某の頭の下げ方です。別に、カメラに向かって下げる必要もないんでしょうが。下げるなら下げ方があると思います。
「申し訳ありません」と頭を下げたのなら、彼の一礼(写真参照)は、礼ではありません。あれは腰を折っただけで、頭を下げていません。顔が上がったままです。自らの否を認めている態度ではありません。
目を下に落として、「自らを相手の前で無防備に曝け出だす」それができてません。頭を下げたことにはなりませんし。ましてや一礼でもありません。世の中が分かってないんでしょうか?躾が悪かったんでしょうか?
お辞儀の仕方も知らない奴が、巨万の富を得れば奈落の底に落ちるのもやもうえない。メディアもあまりちやほやしないが良い。実力があれば。いや、頭の下げ方を知れば。這い上がってくるでしょう。と、思うのは年寄りの冷や水なんでしょうか?
孫娘が、始めて頭を下げる姿に、躾の大切さを思うのと。
この子が素直で、優しく、誰にも愛される謙虚な人間に育ってくれればと願います。
それにしても、今日は、この冬、一番の寒さですね。
                                            Goto
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中日新聞 夕刊より

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