レガシーコスト

GM破綻に、何を学べばよいのか?
当たり前のことを、当たり前にやる。一切の妥協を許さず、原理・原則に則り徹底的にやる。それも、理路整然とやる。企業が継続、発展する上での経営者の姿勢である。
もう一つ。「人が作ったもので、四半世紀以上、有効なものはない」。経営者には、立ち止まることは許されない。常に変化を求め、革新に努めなければ、生き残ることはできない。
この二つ。どう思われますか?原理・原則を貫くには、よほどの意思が必要です。意志の弱い者が、経営者になれば、不幸の始まりです。それに成功事例にしがみ付く経営者は倒産の危機を免れません。
巨大企業「GM」の落日が経営者に突き付けた教訓です。それは、良く理解できるのですが。
私には、岩をも貫く、強靭な意志があるとは思えません。常に革新する能力も、根気もありません。
では、どうするのか・・・・。
まず、原理・原則を掘り下げる。我社の原則は、広告業は何のためにあるのかの追求です。
そのことが理解できた集団にする。つまり、原則を共有した集団による組織的な運営をする。
企業の原理とは、収益を上げること。そのためには効率の追求以外に無い。それを「機会損失の排除」という。血の滲むような努力によって、適正な収益を上げる。常にそのシステムを追及する。
常に革新するのは難しいが社風で対処するしかない。「因習とは、改革の連続である」とは、先代の教え。広告業界は常に新しいマーケティング手法が登場する。それをいち早く消化する社風を身に付ける。
日本的なのかも知れませんが、私の無能は、組織力と社風で克服する以外にないと思っています。
それにしても、GMの退職者向けの年金や医療費など「レガシーコスト」(負の遺産)は年1兆円を超すそうです。自動車販売の収益で賄えるはずがないと思います。
そうなりますと、GM破綻の原因、いろんな角度で述べられていますが、何で、収益を上げていたのか?そうです、「モノづくり」ではなく、「金融」で稼いでいたのです。
稼げるなら、なんでもやるのが原理・原則?革新性を放棄したモノずくりの社風?
この本質を見失った巨大企業。発表された再生案で復活するのか?私は大いに疑問が残ります。
GMは、偉大な社会主義社会実験をした。企業の枠を超え、金融で。その無謀な実験が破綻した。
だから、GMは、消え去る運命にあるのではないかと思うのですが。うがちすぎでしょうかね?
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