民主主義は手間隙掛るものだと思うのだが・・・・・・。
クリスマスとは何の関係もありませんが、民主主義について、考えてみたいと思います。
なぜかと申しますと、来年は「地域主権」改革が大きなテーマになると思うからです。
その際、民主主義とはなにかを、問い直さなければ、前に進めない気がするからです。
民主主義は手間の掛るもの。イギリスの首相「チャーチル」は、民主主義をこんな表現で揶揄しています。「どうしようもないが、これしかないのが民主主義」と。
最近の日本は、疲弊しきった経済を背景に虚脱感が蔓延し、刹那的な様相を呈しています。その原因はヒステリックなメディアにあると思うのですが、新政権の予算編成批判に良く現れています。
私の手元に佐野眞一さんが民俗学者宮本常一と日本資本主義の元祖とも言われる渋沢栄一を祖父に持つ渋沢敬三を書いた「旅する巨人」(文芸春秋刊)という本があります。
感動の一冊。手元に置いています。
その中に「対馬にて」という章があり、宮本常一が対馬で、村に残る集落共有の「古文書」を借りたいと古老に頼む件があります。「忘れられた日本人」(宮本常一著)にも収録されている場面です。
昭和25年の話です。ちょっと長くなりますが、村の寄り合いの模様を紹介します。
「区長は宮本の申し出に、それは寄り合いの承認が必要だと・・・・」。傍聴した宮本。寄り合いが始まり、最初は「大事な書類だからみんなでよく話し合って決めよう」という確認がされたのみ・・・。
話題は次の協議事項に移る。そのうち突然、ある家が持っていた書類を親戚に貸したところ、そのまま返さず、酷い目にあったとの話が出る。すると、次々に不用意な貸し方で起こった災難の例がだされる。それがとぎれると、また別な話題に移る。
しばらくして三度、話題は古文書に集まり、死蔵していたものを眼力のある人に見せたら得をしたと、前とは反対の経験がひとしきり語られる。その間食事の間に家に帰る人もいるが、それは自由。
重要な案件は何日もかけて延々と話合われる。古文書の借用一つでこれほど長時間協議が行われた理由は、以前に貸した学者が不祥事を犯したからだったが・・・・。
宮本は丸二日にわたる寄り合いを経て、ある古老の「「みればこの人悪い人でもなさそうなので、貸してあげてはどうか」の発言で借りることができたと、その模様を丁寧に綴る。
この話が重要なのは、この伝統に基づいた恐ろしいほど粘っこい日本的民主主義のルールを、聞き取ってから、9年後に意識的に書き留めたこと。そこには、アメリカ直輸入の戦後民主主義をひたすら謳歌し、日本的伝統を封建遺制として一切否定しようとする風潮への批判が込められている。
宮本は、古い村の伝統のなかにも民主主義的要素、しかも借り物でない本物の民主的要素があることを強調したかった。と佐野は、この件を解説している。
日本人は、柔軟な民族、外国の文化や政治制度を必要とあらば貪欲に吸収、消化することが出来る。しかし、金科玉条にしている戦後民主主義は、果たして、本物だろうか?
輸入品をご都合主義で、便宜的に正当化しているだけではないだろうか。その結果、経済成長と自己欲求拡大を信じて疑わず、ひた走りに走ってきたのではないだろうか。
その結果が中央主権を確立させ地方を衰退させたのではないだろうか。
中央主権に都合の良い、戦後民主主義だったと思えてならない。
地域主権を改革し、地域を再生、確立するには、この列島に、誇るべき日本人、美しい日本人がいた事実を検証し、地域に根差していた日本的民主主義を問い直すことから始める必要があるのではと思う。
それにしても、この国、いかに師走だといえども、慌てすぎだね。
年内に予算編成せねば国が滅ぶんだろうかね。民主主義は手間隙掛るものだと思うのだが。 Goto
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