高齢社会に思う。

今日は何の日だっけ・・・人間って奴は自分のことになると、途端に正義なんですね。
老母が「あのおばあさん最近、ちょっと呆けたらしい」とか「あの子、久しく顔を見せないけど、どこか悪いんじゃない」とか「◯◯病院で久しぶりにに◯◯ちゃんにあったけど、ちっとも変らんわ」なんて、毎朝、仏壇に参る折、出会った人の話をする。私は黙って聞く。
老母は大正14年生まれで11月で90歳になるのだが、あのおばあさんは誕生日がわずか数ヶ月早くて90歳になったばかり。あの子とは2歳年下の87歳。久しぶりの◯◯ちゃんは私にはよく分からないが80歳はずいぶん過ぎている。親に向ってこんなことをいうのは不謹慎かも知れないが。
自分よりも半月でも年上にはおばあさんといい。誰が見てもどっちもどっちのおばあさんだが。生まれ年が一年も遅ければ87歳でも、まるで子供のように「あの子」である。人間という奴は・・・ことほど左様に、身勝手で自分の年齢が幾つなのかの自覚がない。
身体は思うように動かないが、自覚がないから、要求だけは若者びっくりするほど、多様化する。さもそれが正義のように。それらをすべて飲み込んで、要求に応えるのは難しい。しかし「長幼の序」を美徳とする儒教的思想がこの国には根付いている。だからメディアはその要求を当然だと囃し立て・・政治は無理してその要求に応えようとする。(多分に政治家の票目当てだが)
それが、国家の財政を危機的にしている社会保障関係費を天井知らずに増額する原因である。
メディアは毎年1兆の社会保障費が増額になることを、高齢社会だからと、さも、当然のように報じるが。本当に当然なんだろうか?大いに疑問である。
私も後、2ヶ月で前期高齢者。少なくとも、高齢者だから、社会保障の恩恵に預かるのは当然であるとの身勝手な考え方は改めねばならないと「敬老の日」の今日に思う。
エッ・・・待て待て。今日は10月14日。月曜日。「敬老の日」は9月15日で、今日は・・・・今日は・・・何の日だったっけ?なぜ、休みだっけ?私は自分が高齢で呆けてきたのを自覚しているのだが。取り敢えず・・・まだ外は暗いが・・素晴らしい天気の様だ・・ウォーキングで考えてみるか?Goto

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