『生きる権利』を守る社会が必要だが果たして可能だろうか。
「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」は333ある国指定の難病です。
私の尊敬する先輩もこの病で亡くなりました。四半世紀前のことです。
最初は脚に違和感が、そして徐々に全身が動かなくなり・・・
最後は呼吸器が機能しなくなり・・発症から5年半でしたか、まだ50代でした。
米国まで治療に出掛けたのですが・・医療の無力を疑ったものです。
先輩の場合は、愛する奥さんや子供さん達・ご家族が献身的に看病されました。
ご本人の「無念」は推し量ることはできませんでしたが、
不治の病への厳しい覚悟が醸造される家族愛に深く感動したものです。
ALSで苦しむ女性が望む安楽死を叶えるべく、二人の医師が致死薬を与えて
殺害したと嘱託殺人の疑いで逮捕される事件が発生しました。
女性は「自らの『生』と『死』の在り方を自らで選択する権利を求める」と
2018年春に開設したツイッターの自己紹介欄に書き込みました。
同時期に開設したブログでも、インターネットの世界に向けて頻繁に発信、
体調の悪化に追い詰められるように決意を固めていた様子が綴られていました(毎日)
女性は11年に発症、ツイッターを始めた18年4月の時点では24時間介護を受けながら、
一人で暮らし、水分や栄養はすべて「胃ろう」でまかなっていました。
「体は目だけしか動かず、話すことも食べることもできず呼吸苦と戦い、
寝たきりで窒息する日を待つだけの病人にとって安楽死は心の安堵と
今日を生きる希望を与えてくれる」と19年元旦には書き込み、
安楽死を認めるスイスへの計画を試みたのですが、
付添人が自殺幇助の罪に問われると知り、途中で断念した様子も・・・
19年秋には、栄養を減らして身体を弱らせようと主治医に相談したが、
自殺幇助にあたるとして断られた記述も・・・「私みたく寝たきりで
自筆できない人間はどうやって簡単に遺言書をつくったらいいのか」・・・
昨年7月参院議員になったALS患者の船後議員は『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を
守る社会にしていくことが何より大切だとのコメントを出しています。
『生きる権利』とは何か・・それを社会が守るとは、具体的にどうすれば良いのか。
社会ができる事柄、範疇とは?患者の声は重いものがありますが。難しい問題です。
私にこの重い問題を解き明かす力はありませんが。
まずは、人間が罹っている難病です。人間の叡智で治療薬ができないか。
333の難病を人類は解決できないか。そのために、社会は、国は援助できないか。
そして、家族に見守られALSで亡くなった先輩の死に立ち会った一人として、
この女性には家族がいないこと、それまで含めて社会は『生きる権利』を
守ることができるのか。
人は誰もが遅かれ早かれ死にます。その死は定めです。
意識あるならば安楽死も「本人」が決めることは認めるべきではないでしょうか。Goto
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