電力の安定を語れ、その現実策から逃げてはならない。
日本には運転可能な原子力発電所が36基ある。福島第一原発事故を受け、すべてが止まり、再稼働に漕ぎ着けたのは全国で14基にとどまる。政府は2040年度の電源構成に占める原発比率を、2024年度の9.4%から2割程度へ引き上げる方針だという。であれば、答えは一つだ。可能な原発は、すべて稼働すべきである。それも早期に、だ。
電源はどれほど逼迫しているのか。経産省は2025年秋、新潟・柏崎刈羽原発が動かなければ「2026年夏、首都圏の電力需給は厳しくなる」と漏らしている。東京電力が、なりふり構わず再稼働を急ぐ理由もそこにある。地元支援のため当初500億円としていた拠出額は、新潟県の要求を受け、倍の1000億円へと増額された。満額回答である。
11月21日、新潟県知事は再稼働容認を示した。検討開始から7年。民主主義とは、ここまで時間と手間暇をかけねばならぬものかと思わずにはいられない。冷静に見れば、この7年間で失われた国富は数十兆円に及ぶだろう。金額の問題ではない、命の問題だと叱られるかもしれない。それでも、この重い決断を下した関係各位には、率直に敬意を表したい。
一方、永田町では解散風が一気に吹き始めた。首相が通常国会冒頭で衆院解散に踏み切るとの観測が流れ、2月中旬には総選挙になるとの見方が強まっている。メディアは「大義はあるのか」と詰まらぬ議論を繰り返すが、解散は総理大臣の専権事項である。やると決めた首相が理由を語る。それが大義だ。批判はその後でよい。
原発事故後の「原発ゼロ」政策のもと、再生可能エネルギーは一気に広がった。太陽光パネルの累計導入量は事故前の20倍に達したとも言われる。しかし、安定供給という観点から見れば、持続可能なクリーンエネルギーへの転換は、残念ながら遅々として進んでいない。
原発再稼働に明確に反対する政党は少数派だ。少数意見を無視するつもりはない。しかし、北海道千歳、熊本北部で半導体の大型工場が次々と稼働し、電力需要は増える一方だ。万が一、供給制限が常態化するような事態になれば、日本経済に未来はない。
首相が解散にどんな大義を掲げるのかは分からない。原発が大義なのではないが、大義は、電力を切らさぬ国家であることだ。もし経済成長を真正面から語るのであれば、36基の原発再稼働を据える覚悟から逃げてはならない。
大寒である。電力ヒーターのおかげで、足元は確かに温かい。この当たり前を、当たり前として守る責任が、いま政治に問われている。Goto


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