春の門出を祝う

公立学校・教員不足という国家の怠慢

春である。卒業式の季節だ。我が家の前、中学校である。校門を出る子どもたちは、次の学びの場に胸を膨らませ、新しい世界へ踏み出していく。親も教師も、その背中に希望を託す。教育とは本来、そんな未来への営みである。

しかし、その春に水を差すような発表があった。5日、文部科学省が発表した調査によると、2025年度の始業日(4月1日)の時点で、本来配置されるはずだった公立学校の教員が全国で4317人不足していたという。対象は全国の公立小中高約3万2000校である。

この数字を見て、私は怒りを覚えた。
「調査したら不足していた」。そんな他人事のような発表で済ませてよい問題なのか。教育行政を司るのは文科省である。教員の人事権が都道府県や自治体にあるからといって、「実態を調べただけ」と言わんばかりの態度は、責任の放棄ではないのか。

考えてみてほしい。今、日本は未曾有の少子化である。子どもの数は年々減っている。それにもかかわらず、制度上は学級の人数を減らす政策を進めている。例えば30人で一クラスだったものを、15人や20人に近づける。理念としては理解できる。きめ細かな教育を行うという理想だ。

だが現実はどうか。子どもは減っているのに、学級数は増える。すると当然、担任の数は増える。教員を大量に確保しなければならない。制度だけ理想を掲げ、現場の人員確保を伴わなければ、結果は目に見えている。教員不足は必然である。

さらに問題は深い。産休・育休の取得者増加は社会として歓迎すべきことだろう。しかし最近目立つのは精神的理由による病休の増加である。過重労働、保護者対応、書類業務、部活動指導…。現場の教師は疲弊している。診断書一枚で長期休職となり、学校は代替教員を探すが見つからない。結果、残った教師に負担が集中する。

そして最も悲しいのは、真面目な教師ほど苦しむ構造である。教育に理想を抱き、子どものために努力する教師の仕事は増える。しかし評価は変わらない。志を持って教壇に立った若者が、数年で疲れ果てて辞めていく。これでは教育の未来が続くはずがない。

教育学の大学教授は言う。「正規教員を減らし、非常勤や再任用で定数を埋めてきたことが原因だ。長期的な教員確保が必要だ」と。

確かにその通りだ。だが、そんなことは十年以上前から言われている。それでも状況は悪化するばかりだ。つまり、問題は分析不足ではない。文科省の怠慢と政治の決断不足である。

私は、解決方法は三つしかないと考える。

第一は政治である。
教育は国家百年の計だ。教育に一家言を持つ政治家を文科大臣、副大臣、政務官に据え、制度そのものを根本から見直すことだ。現場を知らぬ官僚任せの制度では、もう限界である。

第二はメディアである。
教育問題は本来、国の未来に直結する最大のテーマである。それを断片的なニュースで終わらせてよいのか。教員不足の実態、制度の矛盾、現場の悲鳴を国民に示すだけではなく、自ら改革の議論を起こすべきだ。

そして第三。もし政治もメディアも動かないのなら、最後は保護者の意思である。心ある保護者が「公立学校に任せられない」と判断する。そして私学を選ぶ。さらに学費の公費負担を求める。極論のように聞こえるかもしれないが、教育行政が機能しないなら、社会が動くしかない。

春は卒業の季節だ。
子どもたちは希望を胸に、新しい学びの場へ歩み出す。
その時、教師が足りない学校で、本当に未来を語れるのだろうか。

教員不足4317人。
この数字は単なる統計ではない。
日本の教育行政の無責任を示す警鐘である。

春だからこそ言いたい。教育を立て直す覚悟が、この国にあるのか。
国家百年の計を、いま真剣に問わなければならない。Goto

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