朝の小1の壁

教育は国家百年の計であること忘れない。

私に教育を語る資格などない。だが、教育は国家百年の計である。国民の一人として、小中学校が抱える課題には真摯に向き合いたい。

我が家の前は岐阜市立の中学校である。授業開始は8時20分、開門は7時50分。毎朝、担当の先生が「挨拶」で生徒を迎える。その姿に、教育の現場を支える人々の献身を思い、頭が下がる。

私は17年間、早朝ウォーキングを続けている。7時30分頃、校門前を通ると、早く登校する生徒の姿がある。二つの姿に分かれる。一つは、学ぶ意欲に満ちた生徒。もう一つは、家庭の事情で保護者に送られてくる生徒である。親の出勤時間に合わせての登校であろう。中学生であれば、ひとりで過ごすこともできようが、親心としては案じるのだろう。

ここで感じるのは、生活のリズムと学校との関係である。遅刻ぎりぎりの登校、あるいはそれすら難しい子どもたち。学校が合わないのか、家庭との連携が取れていないのか。背景は様々であろうが、そこには教育の根幹に関わる問題が潜んでいる。

さて、都市部で深刻化している「朝の小1の壁」である。共働き世帯の増加により、小学校の始業前に子どもをどうするかという問題だ。群馬県高崎市では、市内全58校で開門時間を7時半から7時へと前倒しする方針を打ち出した。保護者の切実な声に応えた決断である。

しかし、教職員の負担増や安全管理を理由に反対の声も上がる。確かに働き方改革の中で、教員の過重労働は看過できない課題だ。だが一方で、現実に困っている家庭があるのも事実である。

興味深いのは東京都三鷹市の取り組みである。市内15校で開門を早め、シルバー人材センターを活用して見守り体制を整えた。教職員に過度な負担をかけず、安全を確保する仕組みである。知恵を出せば、道は拓ける好例だろう。

海外に目を向ければ、スウェーデンでは早朝から学童保育が整備されている。教育を国家の根幹と捉え、社会全体で子どもを育てる思想が徹底している。

翻って日本はどうか。少子化が進み、教育の重要性が叫ばれる中で、「朝の小1の壁」すら解決できない。文部科学省は基本方針を示すが、実務は自治体任せ。現場は模索を続け、統一感を欠く。行政のちぐはぐさに、もどかしさを覚える。

人間学的に言えば、教育とは「人を育てる営み」である。家庭、学校、地域が一体となり、子どもを見守り、育む。その責任を誰か一方に押し付けるのではなく、社会全体で担う覚悟が求められている。

たかが「朝の時間」の問題ではない。そこには、働き方、家庭の在り方、地域の連帯、そして国家の教育観が凝縮されている。

4月、新学期が始まる。子どもたちは新たな一歩を踏み出す。その背中を、安心して送り出せる社会でありたい。教育は未来への投資である。

私もいずれ現役を退いたならば、地域の見守りの一員として関わりたい。子どもたちの朝を支えることは、日本の未来を支えることに他ならない。でもだ。喜寿過ぎでは見守られる側なのが残念である。

「朝の小1の壁」。この言葉の奥にある本質を、私たちはもっと真剣に考えるべき時に来ている。Goto

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