医師の偏在

“医師とは何か”を問わねばならないのはさびしい。

まず整理しておきたい。診療所とは何か。医療法上、入院ベッドが19床以下(あるいは無床)の医療機関を指す。地域に密着し、主として外来診療を担う存在である。本来は、住民の健康を日常的に守る“かかりつけ医”の役割を果たす重要な基盤だ。

ところが今、この診療所で働く医師が急増している。病院勤務医、開業医、そして診療所勤務医。この三つの働き方のうち、診療所勤務医は、夜勤や休日出勤が少なく、急患対応や高度医療の負担も軽い。加えて開業リスクもない。収入は安定し、生活の自由度は高い。いわば「ゆるキャリ」とも言える働き方である。

結果はどうか。高度医療、救命救急、地方医療を担う病院から医師が流出し、現場は疲弊している。医師不足は数字の問題ではない。必要な場所に、必要な医師がいないという構造的な歪みである。

だが、ここで単純に若い医師を責めるのは筋違いだろう。子育て世代にとって、過酷な勤務を強いられる大学病院より、規則的で安定した診療所を選ぶのは自然な判断である。コロナ禍で開業医の経営リスクも顕在化した。ならばなおさら、「無理をしない選択」に流れるのは当然だ。

問題は個人の価値観ではない。制度と社会の設計である。

海外に目を向ければ、ドイツは地域ごとに医師数を管理し、過剰地域での新規開業を制限する。フランスは診療科ごとに研修医数を厳格に管理し、専門分野の偏在を防いでいる。医療を「公共財」と位置づけ、国家が責任を持って配分しているのだ。

翻って日本はどうか。「自由」を尊重するあまり、結果として地域医療が崩れつつある。厚労省も偏在是正に動き始めたが、規制はなお緩い。医療は命に直結する。市場原理に委ねて良い分野ではない。政治が覚悟を持って踏み込むべき局面に来ている。

では、医師とは何か。
単なる職業か。高収入を得るための資格か。
私はそうは思わない。

医師とは、人の生死に最も近い場所で、人間の尊厳と向き合う存在である。知識や技術の前に、「覚悟」を問われる職業だ。苦労して得た免許の価値とは、楽に生きるための通行証ではない。困難な現場に立ち続ける責任を引き受ける覚悟こそが、その本質ではないか。

もちろん、すべての医師が過酷な現場に身を置けとは言わない。多様な働き方は必要だ。しかし、誰もが「楽な方」へ流れた時、医療は崩壊する。現にその兆しは見えている。

さらに言えば、AIの進展により診断や手術の自動化が進む時代が来るだろう。だが最後に残るのは、人と人との関係である。患者の不安に寄り添い、命の重みを共に背負う存在。それが医師の本質である限り、「倫理」や「志」は決して不要にはならない。

ゆるキャリも結構。だが問いたい。
あなたは何のために医師になったのか。

医療とは、社会の最後の砦である。
その砦を支えるのは、制度でもAIでもない。
一人ひとりの医師の覚悟である。Goto

コメント