友好と迎合は違う「舐められたらあかんぜよ」
シンガポールで開かれたアジア安全保障会議、通称「シャングリラ・ダイアローグ」が今年も世界の注目を集めた。シャングリラ・ダイアローグとは、英国のシンクタンクである 国際戦略研究所 が主催するアジア最大級の安全保障会議である。毎年、各国の国防大臣や軍幹部、外交関係者が集まり、安全保障や国際秩序について議論を交わす。アジア版ダボス会議とも言われる重要な国際会議である。
その場で、中国が日本を「新型軍国主義」と批判していることに対し、小泉進次郎 防衛大臣がこう反論した。「核兵器と戦略爆撃機を大量に保有する国が、そのいずれも持たない日本を新型軍国主義と呼んでいるとしたら、おかしいと思わないか」
私はこの発言を支持したい。
外交とは、相手国との友好を築くことである。しかし、それは相手の言い分を無条件に受け入れることではない。事実に反する批判や、一方的なレッテル貼りに対しては、毅然として反論しなければならない。
そもそも中国が使う「新型軍国主義」とは、日本の防衛力強化や台湾海峡問題への関与を、戦後秩序への挑戦であるかのように印象付けるための政治的な用語である。
しかし現実を見ればどうか。
中国の軍事費は三十一年連続で増加し、三千三百六十億ドル規模に達した。一方、日本は六百二十二億ドル程度であり、中国の五分の一にも満たない。しかも日本は専守防衛を国是とし、核兵器も保有していない。戦略爆撃機も持たない。憲法の制約の下で防衛力を整備している国を「軍国主義」と呼ぶのであれば、その言葉は本来の意味を失う。
もちろん私は勇ましいことを言いたいのではない。日本と中国は古来、一衣帯水の隣国である。文化も経済も深く結び付いている。友好は大切だ。対話も必要だ。むしろ両国は安定した関係を築かねばならない。しかし友好と迎合は違う。必要以上に相手の顔色をうかがい、自らを卑下するような姿勢では真の信頼関係は生まれない。時に「ノー」と言えることこそが独立国家の矜持である。
中国には五千年とも言われる壮大な歴史がある。一方で現在の中国共産党政権の歴史は百年にも満たない。長い歴史の中では一つの時代に過ぎない。歴史を振り返れば、どんな大国も永遠ではなかった。重要なのは権力の大きさではなく、歴史に耐えうる国家としての品格である。
我が国には二千年以上にわたる歴史がある。先人たちは国難のたびに知恵を絞り、汗を流し、この国を守り抜いてきた。だからこそ日本人は、自国に誇りを持たねばならない。相手を憎む必要はない。敵視する必要もない。しかし舐められてはいけない。
凛として立つこと。それが国と国との付き合いの基本である。中国とも米国とも、そして世界の国々とも、堂々と向き合う。言うべきことは言い、守るべきものは守る。そんな気概と気骨を持った日本でありたい。それこそが、二千有余年の歴史を受け継ぐ私たちに課せられた使命ではないだろうか。Goto


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