母親の愛情は時として科学を先回りする
さてさて。今日は少し私事である。
私は四十代で多発性関節炎を発症した。症状からみれば関節リウマチである。
最初は手の中指の第二関節が腫れ始めた。それがやがて両手へ広がり、手首も腫れた。足の親指は外反母趾のように内側へ曲がり、右股関節は軟骨がすり減ってしまった。五十六歳で人工股関節を入れ、以来、生物学的製剤の点滴を月に一度受けている。
関節リウマチは、自分の免疫が誤って関節を攻撃し、炎症を起こす自己免疫疾患である。炎症が続けば軟骨や骨が壊れ、関節が変形する。しかも「多発性」の名の通り、あちらが治まればこちらが痛む。まるで痛みが体中を旅しているような病気だ。
それでも、医学の進歩はありがたい。喜寿になった今でも、多少の痛みや不自由さを我慢すれば、日常生活に大きな支障はない。早朝ウォーキングは十七年間続け、ラジオ体操も毎朝二年間欠かしていない。家人は「雨や雪の日くらい休めば」と呆れるが、週に一度はゴルフも楽しんでいる。
もちろん、痛みが強い日は消炎テープを貼り、消炎剤を服用する。それでも治まらなければペインクリニックのお世話になる。それで何とか付き合っている。
そんな私が思わず「なるほど」と膝を打った記事があった。
九州大学の研究グループが、痛みを抑える働きを持つ「触覚神経」を世界で初めて特定したという。痛い場所をさすると痛みが和らぐ。その身近な現象の神経メカニズムを解明したのである。
子どもの頃、転んで泣くと母親が痛いところをさすりながら、「痛いの痛いの飛んでいけ」と優しく声を掛けてくれた。私は、あれは子どもを安心させるおまじないだと思っていた。
ところが、そうではなかったらしい。
研究では、触覚神経を刺激すると、痛みを脳へ伝える神経の働きが弱まり、痛みが軽減することが確認された。つまり、あの「さする」という行為には、ちゃんと科学的な意味があったのである。
母親は理屈ではなく、経験で知っていたのだろう。愛情とは、時として科学を先回りする。
さらに私は、もう一つ思い当たることがある。痛みを感じるのは関節ではない。最後に「痛い」と判断しているのは脳である。
だから私は古希を迎えた頃から、「痛い、痛い」と口に出すことを極力やめた。痩せ我慢と言われればその通りだが、不思議と口にしない方が気持ちまで痛みに支配されなくなる。
もちろん、我慢のし過ぎはいけない。必要な治療は受けるべきだ。しかし、痛みに心まで支配されてしまえば、人生まで小さくなってしまう。痛みと闘うのではなく、痛みと付き合う。それが長年リウマチと共に歩いてきた私なりの人生の知恵である。
それにしても、「痛いの痛いの飛んでいけ」。あの一言に込められた母親の愛情は、最新の医学でも証明され始めた。母の手のぬくもりほど、心を癒やす薬はないのかもしれない。Goto


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