国旗を燃やす自由を崇高な理想とは思えない
国旗とは単なる布切れではない。
国家の歴史であり、文化であり、先人たちの祈りであり、その国に生きる人々の誇りそのものである。
日本の日章旗、「日の丸」もまた同じだ。
太陽を象徴し、古来、日本人が自然と共に生き、朝日を尊び、「日出づる国」として歩んできた精神文化を映している。
人間学の視点で言えば、国旗とは「共同体への帰属意識」であり、「自らは何によって生かされているのか」を問い掛ける象徴である。人は一人では生きられぬ。家族があり、地域があり、国家がある。その積み重ねの上に、自らの命も暮らしも存在している。その国旗を、自ら傷つけ、燃やし、破る行為をどう考えるべきか。
高市自民党は現在、自国の国旗を傷つける行為を処罰する「国旗損壊罪」の創設準備を進めている。
これに対し、 朝日新聞などは強く反対している。曰く――国旗を傷つける行為も政治的表現の自由である。国への抗議や批判を、国旗を破ったり燃やしたりすることで示す自由まで封じるべきではない。そんな法律は、政治的表現を萎縮させる。
戦後80年を経てもなお、「日の丸」は侵略戦争や軍国主義の記憶と結びついている。国家を過剰に尊重する空気を生み、再び危険な国家主義へ向かう――。いつもの朝日的論法である。
だが、私はそうは思わない。
世界は今、戦争状態にある。
ロシアによるウクライナ侵略戦争は、戦場の姿を一変させた。市販ドローンに爆発物を積み、敵陣へ突入させる戦術が一般化。
妨害電波への対抗として、ついには光ファイバーで操縦する有線誘導型ドローンまで登場した。そして今、ヒズボラとイスラエルの戦場でも、その兵器が猛威を振るっている。
中東情勢は、イラン問題とも直結し、ホルムズ海峡封鎖という、日本の生命線にまで影響を与える段階に入った。その戦場で、兵士たちは何を掲げて戦うのか。国旗である。
世界中の国々が、自らの国旗に誇りを持ち、国家を守ろうとしている時代に、日本だけが「国旗を燃やす自由」を崇高な思想のように語っている。私は、むしろこちらの方が異様に映る。
もちろん、国民は馬鹿ではない。
サッカーのFIFAワールドカップで日の丸を振る若者たちを見て、「軍国主義だ」などと思う者がどれほどいるだろうか。
国旗とは、国家権力への服従ではない。
共に生きる共同体への感謝であり、故郷への愛着であり、自分たちの居場所を確認する心の拠り所だ。
私は、国旗損壊罪の議論を「表現の自由か否か」という狭い話だけで終わらせてはならぬと思う。
国家とは何か。
共同体とは何か。
人は何によって支えられているのか。その根源を問い直すべき時代に、日本は入ったのである。Goto


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