自治体が本屋に補助金を。
今日は七夕。一年に一度だけ、天の川を渡って織姫と彦星が再会できる夜である。
天帝の娘・織姫は機織りの名手。働き者の彦星と結ばれたものの、互いに恋に夢中になり仕事を怠ってしまう。怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離した。
しかし、深く反省した二人を憐れみ、一年に一度だけ会うことを許した――。そんな切なくも美しい物語が七夕の由来である。七夕とは、会いたい人に会えることの尊さを教えてくれる日なのかもしれない。
さて、あなたの街に本屋はありますか。
二〇二六年三月時点、出版文化産業振興財団の調査によれば、全国の市区町村の二九・三%、実に五百十自治体が「無書店自治体」となった。
私の住む岐阜市は無書店自治体ではない。しかし、街なかから本屋は姿を消した。
岐阜駅ビルと郊外のショッピングモールに何店舗かあるだけである。
欧米でも事情は似ている。ネット通販や電子書籍の普及によって出版市場は縮小し、独立系書店は減少を続けた。一方で近年は、地域コミュニティーの拠点として特色ある書店づくりや、カフェやイベントを併設した「人が集う本屋」が見直される動きも広がっている。本屋は単なる販売店ではなく、文化を育てる場所として再評価され始めている。
私自身も、最近は本屋へ行く機会がめっきり減った。毎朝六紙の新聞に目を通す。新聞には書籍広告が掲載され、土日には新刊紹介の特集もある。読みたい本を見つけると、そのままネットで注文する。便利である。実に便利だ。
だが、便利さと引き換えに失ったものがある。
若い頃、柳ヶ瀬の自由書房、徹明町の大衆書房によく通った。本を探し歩きながら、友人との待ち合わせをした。目的の本だけではない。隣の棚に思いがけない一冊を見つける。偶然手にした本が人生を変える。店員さんとの何気ない会話から知識が広がる。そんな「予定になかった出会い」が、本屋にはあった。
自由書房、大衆書房――その名も実に味わい深い。
いずれも街から消えてしまったことが、何とも寂しい。
本屋が減る理由はいろいろある。しかし究極は、本を買う人が減ったことに尽きる。本が売れなければ、行政が補助金を出しても長くは続かない。
そんな中、島根県大田市では、二年ぶりにイオンタウン内へ書店が復活した。
約三万冊をそろえ、市は初期投資や経営支援として十年間で五千五百万円を補助するという。市長は「日常的に集える文化の拠点として守り育てたい」と語り、「本屋のいいところは人との出会いが生まれるところ。文化を発信するだけでなく、文化をつくる場所だ」と話している。
私は、その言葉に深く共感する。
もし織姫と彦星が再び出会う場所が、天の川ではなく本屋だったなら、どんなに素敵だろう。
ゲームやSNSだけでは生まれない、人と人との温かな出会い。本を介して語り合い、笑い合い、新しい価値観と巡り合う。本屋とは、そんな奇跡が静かに起きる場所なのである。
七夕の夜、星空を見上げながら思う。
文化とは、人が人に出会うことで育つものだ。
だから私は、時流に流されるだけではなく、自ら本屋へ足を運びたい。本との出会い、人との出会い、その一冊、その一言が、人生を豊かにしてくれると信じている。Goto


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