克己復礼

「ギルティ消費」に思う

人間とは、つくづく罪深い生き物である。
健康のためと食べたいものを我慢する。飲み過ぎはいかんと酒量を控える。無駄遣いは慎もうと財布の紐を締める。人生には「自制」が大切だと自らに言い聞かせて生きている。

ところが、そんな自分がある日突然、「今日は頑張ったから」「これくらいなら」と言い訳を始める。そして、甘い物を思い切り食べる。欲しかった物を勢いで買う。後悔すると分かっていても、禁を破る。その瞬間だけは心が軽くなる。

今、このような消費行動を「ギルティ消費」と呼ぶそうだ。
「罪悪感を抱きながら楽しむ消費」である。

調査では、「よくある」「たまにある」と答えた人は半数を超え、コロナ禍以降の健康志向や物価高による節約疲れ、情報過多によるストレスが背景にあるという。飲食メーカーも見逃さない。濃厚な甘さや背徳感を売りにした商品が次々と登場し、「本能のままに生きよう」と消費者の心をくすぐる。

確かに、たまには息抜きも必要だろう。人間は機械ではない。
張り詰めた糸を少し緩める時間があってもよい。

しかし、人間学の立場から見れば、ここに落とし穴がある。

欲望は、一度満たされても決して満足しない。むしろ、「今日だけ」「今回だけ」という言い訳を覚え、次はもっと大きな理由を探し始める。「自分へのご褒美」は、やがて「当然の権利」へと姿を変え、自制心は少しずつ失われていく。

人を成長させるのは欲望ではない。欲望を制する力である。

古人は「克己復礼(こっきふくれい)」と教えた。己に打ち克ち、節度を守るところに人格は磨かれる。人生の幸福とは、欲しい物をすべて手に入れることではない。欲しいという心を上手に治めることにある。

ストレスは、背徳の一杯や一皿で根本から解決するものではない。働いた充実感、人の役に立った喜び、家族や仲間との語らい、自然の中を歩く時間、読書や趣味に没頭する時間。こうした健全な喜びこそが、心を本当に満たしてくれる。

ギルティ消費は、一時の快楽であって、心の栄養ではない。Goto

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