新聞が消える日が来るのか ―
新聞は単なる紙ではない。社会の真実を伝え、民主主義を支える言論の府である。その全国紙の一角、産経新聞が東北6県での新聞発行を休止する。新聞を愛し、新聞とともに生きてきた私には、決して他人事ではない。
「遂に来たか」と言うべきか。それとも「やはりな」と受け止めるべきなのか。
産経新聞社は、11月30日をもって東北6県での産経新聞とサンケイスポーツの発行を休止すると発表した。用紙やインキ、印刷、配送コストの上昇を理由に挙げるが、根底にあるのは、紙の新聞を支えられるだけの購読者数を維持できなくなったという厳しい現実である。取材網は残し、電子版で対応するという。
思えば、全国紙の夕刊は縮小の一途をたどってきた。産経新聞は東京本社版の夕刊を2002年に廃止。近年は朝日新聞も配達地域を縮小し、夕刊の休止を相次いで決断している。夕刊文化そのものが静かに姿を消しつつある。
新聞とは何か。
私は「事実を確認し、多面的に検証し、社会に責任を持って伝える公共財」だと思っている。速報性ではネットにかなわない。しかし、幾重もの取材と裏付けを経て紙面に載る記事や論説には、時間をかけて磨かれた信頼がある。それが新聞の価値である。
私は新聞命である。
毎朝、六紙に目を通し、夕刊を楽しみに待つ生活を長年続けている。しかし今、岐阜で夕刊が届くのは中日新聞と日本経済新聞だけになった。紙の新聞が、静かに生活の中から姿を消している。
産経新聞は関西を基盤とする全国紙だ。しかしABC部数で見ると、ピーク時には約200万部あった発行部数は、近年では80万部前後まで減少した。これは産経だけの問題ではない。全国紙すべてが厳しい部数減少に直面している。
私は危惧している。
この流れが続けば、全国紙という枠組みそのものが揺らぐ日が来るのではないか。新聞が一紙、また一紙と配達地域を縮小し、やがて「全国紙」の看板を下ろす時代が訪れるかもしれない。
それにもかかわらず、新聞業界全体からは、この危機を自分事として受け止める熱量が、どうも伝わってこない。「産経だから仕方ない」と傍観して済む問題ではない。今日の産経は、明日の新聞界全体の姿かもしれないのである。
新聞人には、自らの職場への誇りと忠誠心を持ってほしい。優秀な記者も編集者も数多くいる。新聞はまだ再建できる。再興は決して夢物語ではない。
新聞を読むことは、民主主義を支えることでもある。新聞が滅びれば、社会は真実を見極める力を失う。だから私は、今日も新聞を開く。
そして、一人でも多くの人に、「新聞を読もう」と呼びかけたい。それが、言論の府を未来へつなぐ、私たち一人ひとりの責任だと信じている。Goto


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